IMF・GATT体制の下,固定レート制のメリットを謳歌してきた日本にとっては,1971年のニクソンショックは青天の霹靂
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
世界はそれ以降変動相場制の時代に入った
日本を見舞ったそれ以上の変化は,1973年末に発生した第1次石油危機
高度成長を可能にした安価で豊富なエネルギー供給という条件が外された
日本は大きなダメージを被り,戦後初のマイナス成長,2桁のインフレに沈んだ
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
しかし全治3年といわれたこの大危機から日本経済は意外に早く立ち直った
それを可能にしたのは,経営の合理化努力及び省エネ・省資源化の努力だった
また,経済成長を牽引するものとして輸出の役割が大きくなった
石油危機を乗り切った日本の企業の製造する高品質な商品は欧米各国で大きな評価を獲得
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
こうした日本の輸出の増加は,石油危機後のスタグフレーションからの脱出に手間取っていた欧米各国にとって脅威と受け取られるようになった
世界が第1次石油危機のダメージを払拭できた頃に第2次石油危機が発生
世界は再び大混乱に陥った
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
第1次石油危機以降,省エネに努めたとはいえ,日本の石油依存度は依然大きく,第2次石油危機のダメージは第1次危機のそれを上回るものになった
第2次石油危機の最中,東京で開催されたサミットでは日本の予想を上回る石油輸入の削減が決定される等,情勢は厳しかった
しかし,日本の危機対応能力は再びこの危機からの脱出を可能にした
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
省資源・省エネルギーの努力が以前にも増して強化され,加えて,経済政策の面では第1次石油危機時の教訓が生かされ,輸入インフレを国内インフレに転化させなかった
こうした状況はスタグフレーションに悩
む欧米諸国の羨望の的に
一方日本経済の輸出依存体質は,この危機を経て一層強まることになった
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
第2次石油危機後,1980年代には日本の貿易黒字は急激に拡大した
日本の貿易黒字拡大の対極には膨張する貿易赤字に悩む米国があった
こうした中で日米間の貿易摩擦は極限まで激化することになった
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
1980年代前半,レーガン政権の下で未曾有の社会実験が実施されることになる
そこに至る経緯
第2次世界大戦後,米国は政治・軍事・経済のすべての面で世界最強の国になった
特に米国の豊かな生活は世界各国の垂涎の的だった
その強いアメリカ経済にも1960年代以降,影が忍び寄ることになった
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
ベトナム戦争の軍事費,ジョンソン政権の「大砲もバターも」政策が政府支出の拡大をもたらした
また,基幹産業である自動車,鉄鋼,電機等では技術革新の停滞や日本・西ドイツが肉迫し,競争力が低下
1971年にはニクソン大統領によって,世界を巻き込んだドル防衛策が打ち出される状況に
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
経済の不振・国際政治での不手際から,米国の威信は地に落ちた
1981年1月 「強いアメリカ」の復活をスローガンに掲げて政権の座に着いたレーガン大統領は直ちに財政・経済の建て直しに着手
レーガンの政策は「レーガノミックス」と呼ばれ,「小さな政府」を実現することで民間の活力を再生しようとする「供給重視の経済学」で,大型減税・歳出削減・規制緩和が大胆に進められることに
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
減税は個人の貯蓄率を引き上げ,企業の投資を促進することによって,米国経済の再生をもたらすはずだった
しかし,期待とは裏腹に,減税は個人貯蓄率を引き上げずむしろ消費拡大をもたらした
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
また,大幅減税の一方で,歳出削減は遅々として進まなかったため,財政赤字は急速に拡大
結果,米国の貯蓄・投資バランスは以前にも増して投資超過に傾き,折からのインフレとも相まって金利を高騰させた
レーガノミックスがもたらした米国の異常な高金利は,海外からの資金を誘導し,資金不足を埋めることに役立ったが,他方では,ドルの独歩高をもたらし,国際収支の悪化を招いた
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
レーガノミックスによる財政赤字の拡大と国際収支赤字の拡大は,「双子の赤字」と呼ばれた
大幅な財政赤字の景気刺激効果で,米国経済は1983年以降,拡大過程に入った
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
レーガン政権は,米国経済は復活したと喧伝した
米国にとっての問題は,自国になだれ込んでくる輸入製品であった
日本は,米国の基幹産業である自動車や安全保障とも密接な関わりを持つ半導体の分野で米国を脅かした
レーガン政権は,輸入増加の原因は(構造的なドル高によるものではなく)日本の意図的な円安誘導策や閉鎖的な日本市場にある,というレッテルを貼り日本に対して様々な要求を行い,日米間で自動車や半導体を巡る貿易摩擦が発生することとなった
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
日本側の輸出自主規制となったのは,繊維,テレビ,鉄鋼
自動車でも輸出自主規制は行われ,さらに米国側は米国製自動車の対日輸出増加,部品の購入の要求を合わせて行うなど要求は多岐にわたった
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
半導体では,日本の市場開放要求が中心になった
米国の対日要求は,日本の経済政策のあり方,特に内需拡大にまでエスカレートするようになった
さらには,金融自由化の圧力が米国から日本に加えられた
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
日米円ドル委員会
米国は「不当に安い円(不当に高いドル)」をもたらす原因として,日本の金融自由化の遅れを指摘するようになった
日本の金融自由化が遅れているために「円」の使いでが悪く,円が実力以下にしか評価されていないという理屈
日米円ドル委員会は,米国の財務省と日本の大蔵省との間で短期間に精力的に検討が行われ,1984年5月に報告書がまとめられた
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
これ以降,日本の金融自由化は急速に進むことに
このような状況下で銀行が選択した途は「伝統的拡大路線」
融資先の開拓の対象として,中小企業,不動産業等が選ばれた
大企業向け融資の場合,大口・低リスク・豊富な情報が当たり前であったが,このとき銀行が目指した新規分野では,小口・ハイリスク・不十分な情報を覚悟しなければならなかった
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
しかし,銀行はうまく判断ができず,土地への担保に縋った
土地神話の下に,銀行は積極的な融資戦略を拡大していった
当時の大銀行の首脳は,「向こう傷は問わない」として大号令を発している
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日
金融自由化は企業の財テク活動を刺激
余裕資金の積み上がりと金融自由化によって様々な資金運用・調達手段が利用可能になったため,企業は本業以外での財テクに力を入れるように
マスコミも囃して財テクブームは個人にも及ぶ
— soy (@MA32861980) 2022年6月14日