k's point of view

経営を本業とし,その現場で毎日活動しています。このブログは,旧司法試験の問題を中心に,新たに実務的視点で考えてみるブログでしたが,最近は,ビジネス関連の雑考や法律・ビジネス関連の書籍紹介の記事が多くなっています。

【憲法】表現の自由⑥ 新聞業界の保護と表現の自由の関係

【問題】

 

新聞の発行部数の上で,大手全国紙数紙が市場を寡占している現状を踏まえて,次のような内容を有する「新聞法」が制定されたとする。AB各条の合憲性を比較しつつ述べよ。

A条 新聞メディアが伝える情報内容が過度に商業ベースになるのを防ぐため,経営基盤の安定している一定部数以上の大手新聞に対しては,紙面の二割を学術文化記事(その定義は明確になされているとする)に充てることを義務付ける規定。違反には課徴金。

B条 新聞拡販の過当競争を防ぎ,零細規模の新聞社の経営の安定化を図るため,新聞購読の戸別勧誘を罰則で禁止する規定。

 

 

 

  • 【論点】

1 表現の自由と積極規制

2 表現の自由とアクセス権

3 表現の自由と経済的弱者保護

 

 

 

【問題の所在】

 

 AB両条とも人権の内在的制約ではなく政策的制約である。

 A条は,自由競争によっては供給されない学術文化記事を,無理矢理にでも読者に供給されるようにし,読者の知る権利や文化的生存権を満足するために大手新聞の表現の自由を規制するものであるから,文化面での積極的政策目的のために設けられているものである(思想の自由市場への介入)。

 B条は,新聞社の表現活動における競争の抑止という点を度外視すると,営業の自由に対する積極規制の典型例と言える。しかし,新聞社の拡販活動は表現活動と無関係ではない。この意味で,営業の自由に対する積極目的規制であると同時に,表現の自由に対する間接的付随的規制であると言える。

 

 

 

【考え方】

 

1.文化的生存権保護目的からの実質的正当性判断

 営業の自由に対しては,積極規制が許容されている。25条から読みとることのできる社会国家原理から,実質的公平を確保するために経済市場に積極的に介入することが要請されるからである。このような社会国家論に忠実に積極規制を定義づけると,積極規制とは「経済的弱者の生存権保護に直接結びつく規制」となる(浦部)。しかし判例はより広く積極規制を捉えている。

 これに対して表現の自由においては自由権一般に共通する内在的制約のみが合憲的な規制として許されると解されている。すなわち,広義と狭義とを問わず,積極規制はおよそ許されないこととなるのである。その根拠としては,社会国家論が経済的自由にしか妥当しないことが挙げられる。憲法25条は経済的側面において自由市場原理を修正する規定であることは,憲法制定過程から明らかである。文化的生存権の観念は憲法上認められていないとの考え方である。仮に,憲法の変遷などの論理を尽くして,文化的生存権を肯定することができたとしても,学術文化記事が受け手にとって必要という国家の判断は受け手の情報選択における自律性を否定するものであり,いずれにせよ実質的正当化は困難である。

 よって積極規制によって政策的に読者の文化的生存権を実現するということは,違憲となる。

 

2.アクセス権保護目的からの実質的正当性判断

経済市場に対する国家のアティテュードとしての「社会国家」を類推して,思想の自由市場に介入することは否定されることは既に見た。これと訴訟戦略上は一応区別して考えうるのは,読者のアクセス権実現のための新聞の表現内容の規制の問題である。

マスメディアによる寡占状態は,私的検閲と一面的な情報提供が放置されるという弊害をもたらす。このような現状認識から,反論権などのアクセス権が,マスメディアによる一面的な情報提供を打破する手法として唱えられている。アクセス権の制度化は,マスメディアの表現の自由にとっては「アクセス規制」などと呼ばれる新たな制約を意味する。

立法においては,テレビ・ラジオの放送番組においては,放送法が放送内容の公平性と多角的な論点の提示や,教養番組と報道・娯楽番組などとの調和を要求しているが,新聞について同種の法律はない。チャンネル数が限定されている放送では,自由な新規参入ができず表現内容の自由競争がそもそも機能しにくいのであるからこそ,この種の規制が許されると解され,新聞の場合には許容されないという見方が一つ有力である。

A条を読者の知る権利実現を目的とするものと解すると合憲性の判断はどうなるか。私見は以下のとおりである。

目的審査において,まずは,アクセス権の憲法上の保障の有無を問題としなければならない。これは取材の自由との均衡から,「21条の趣旨に照らして十分尊重に値する」ものとなり,憲法上の保護に値する利益であると解される。次に,アクセス権から導かれる情報提供義務の名宛人として新聞社が指定されているが,これが憲法上許容されるかという点が問題となる。人権の私人間効力の問題であるが,新聞社は寡占市場の恩恵を受けつつ国民一般の社会生活に必要な情報を提供するという高度に公的な機能を果たしている。よって,ステイトアクションの法理が妥当し,憲法上アクセス権から導かれる情報提供義務という公義務の名宛人となる資格がある。以上から,アクセス権保障目的の規制は目的において正当である。

手段審査に入る。サンケイ新聞事件では萎縮効果が生じ,新聞の表現の自由に対する制約が重大であるから,違憲とされた(手段違憲)。本問A条は,表現内容に関わらず一定のページを学術文化記事に充てるという規制であるから,このような萎縮効果は生じない。よって,判例の事案とは異なり,本件で萎縮効果に言及することは妥当でない。もっとも,規制の強度は萎縮効果の有無だけで決せられるものではない。新聞全体で30ページから40ページあるものと推察されるところ,そのうちの2割が学術文化記事に充てられるとなると,6ページから8ページがそれに充てられることになる。新聞社としては,学術文化記事欄の広告料収入はあまり見込めないことも勘案すると,値上げを考えることになる。ここで,寡占市場の特徴として,1紙が値上げすれば代替効果により他紙に需要が向くので他紙は値上げに追随せず,値上げした者が大きく部数を減らしてしまうということになる。この結果を避けるため,広告料収入減少を補填するため,他の欄のページ数を減らしたり広告欄をさらに増やしたりして対応することになる(要するに値上げ以外の方法を採る)。このことによる新聞の内容の貧弱化が懸念される。

よって萎縮効果はないが,新聞の内容の貧弱化の懸念があり,やはり手段において違憲である。仮にこれを経済的援助で補填することとしても,問題は解決しない。権力の監視を重大な任務とするマスメディアに対する公権力による操作型権力的介入の危険が生じ,その方法自体がもつ公権力濫用の危険性に鑑みて違憲とされることになろう(違憲の条件の問題)。

 

3.表現の自由と経済的弱者保護

 本問B条は,零細新聞社を保護するために大手新聞社の表現活動を間接的に制約するものである。

 

(パターン1: 間接的付随的制約構成)

    新聞購読の勧誘は新聞の表現活動それ自体ではなく,また新聞の表現活動を実現するための必須の手段でもなく,新聞の表現の自由保障のため「十分尊重に値する」にとどまるとみると(取材の自由と同様の論理),本問B条による規制が表現の自由との関係では間接的付随的制約にとどまるとみることもできる。この帰結として,表現活動の代替チャンネルが十分に残されている限り,営業の自由に対する規制と平仄を合わせることが許容され,目的審査を緩和し,経済的弱者保護目的の規制も許容されるとすることができ,さらに,手段審査も緩和されることになろう。いわば表現の自由に対する制約の効果を利益の均衡性における考慮要素の1つに格下げするものである。

 

(パターン2: 直接的制約構成)

    新聞購読の勧誘を通常の営利活動と同視すべきではない。新聞の販売自体が表現行為としての表現の自由の保障を享受するのであるから,販売の勧誘の規制も表現の自由の直接的制約と見るべきである。間接的付随的制約論を採らない場合は,以下のように考えることになる。

 B条は表現の自由の積極規制に相当する。表現の自由には個人の自己発展や民主主義に寄与するという重要な機能がある。大手新聞社の自由な表現活動も,読者個人の自己発展や社会全体の民主主義のプロセスの活性化に不可欠となっている。それゆえ,経済的弱者の保護であっても,大手新聞社の表現の自由を制約することは許されない。

 

 

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