k's point of view

経営を本業とし,その現場で毎日活動しています。このブログは,旧司法試験の問題を中心に,新たに実務的視点で考えてみるブログでしたが,最近は,ビジネス関連の雑考や法律・ビジネス関連の書籍紹介の記事が多くなっています。

【憲法】表現の自由① 間接的・付随的制約

表現の自由の中で特に間接的・付随的な規制について取り上げ

 

例の猿払判決の文脈では、
内容に着目した規制のうち、
その内容自体が悪質であるという理由での規制を
直接的規制と呼びます。

他方、
内容中立規制および
内容規制のうち、その内容自体は悪質でないが、
それが引き起こす政治的中立性の信頼低下や
名誉の低下や性風俗のかく乱など、
それが引き起こす害悪が悪質だという理由での規制を
間接的付随的規制といいます。

もっとも判例の言う直接的な内容規制に該当するような事例は、
教室説例を含め発見されたことがなく、
業界ではツチノコ規制(ホントにいるのそれ?規制)と呼ばれています。

ただ、まあ、理念としては分かるかな、とは思います。

 

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間接的・付随的制約というのは猿払事件が打ち出したフォーマットで、国家公務員法上の規制について、政治的行為というのは主題の規制ので、主題規制すなわち内容規制ではないかと思われるものにつき、その審査を緩和するために出してきた言い方である。これは主としてアメリカ経由の議論の建て方であり、内容規制と内容中立規制と言う伝統的な枠組みとは全く別の、しかもしばしば内容規制を緩和するための理論の枠組みとして間接的・付随的制約という言い方が出てきた。

 

ところがもう1つの文脈が2000年代に入ってからでてくるそれはドイツにおける議論の文脈、大まかに比例原則をベースに、特に三段階で審査をしていって、侵害とか制約という論点である。元々はやはり行為の帰結ので、行為が目的的でなければいけないじゃないかという考え方だったわけである。つまり意図して行われた行為について、侵害を考えるべきではないかというのが当初の見方だったのだが、しかしそれでは色々な権利侵害の複雑なありようというのを拾えないのではないかというように考えられるようになってて、必ずしも目的的な行為でなくても侵害を構成するというように考えられるようになってきたわけである。つまり侵害の態様というのは当初は意図を持って権利侵害をするという悪質なものだけを考えていた、そういう直接的なものだけを考えていたわけが、様々な理由でこれでは狭いということになった。

 

(参考:ドイツ刑法上の行為論争)

 

目的的行為論とは、目的によって支配された身体の運動が刑法上処罰の対象となる行為であると解する見解を意味する。

この見解によると、一定の犯罪的結果の実現を目的とする故意行為とそうでない過失行為は構造的に異なり、違法評価の対象として異なったものであると考える。

目的的行為論自体は少数説にとどまっているが、行為無価値論はこれを基礎とする。

目的的行為論の問題点としては、過失行為と不作為を目的的行為として説明することが適切かどうかである。

過失犯において法的に重要なのは目的ではなく、因果的・非目的的に惹起(じゃっき)された結果こそであるから、過失行為を目的的行為として説明することは適切ではない。

不作為については、目的的行為論者たちは作為と不作為は存在構造がまったく異なるために同一の概念、すなわち目的的行為という概念の下におくことはできないことを認めている。

 

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特に人権論において重要な文脈は、統治のテクノロジーが高度化しており、むしろ間接的・付随的な制約であるという偽装によって実際には直接侵害をするというようなケースも増えてきてい。そうなると直接的な、あるいは目的的行為に基づく侵害だけを考えていたのでダメで、もう少し広げていこうという話になっていくわけである。この文脈で間接的制約とか間接的侵害という議論が出てくる。これは損害論にさらに進と間接損害という議論にもなるわけが、直接から間接に広げるというのは、これは議論としては進化している、こういう文脈がドイツ流儀の中にある。

 

現在間接的制約というフォーマットの前提にある文脈が輻輳しており、アメリカ的な本当は厳格審査すべきなのにそれを緩和するために持ち出しているお題目という文脈と、むしろ人権論で拾う範囲を広げるために間接的な侵害まで視野に入れるという文脈と両方の議論あるいはストーリーが入り乱れている、いう状況にある。

 

例えば猿払事件の文脈というのはアメリカ流儀で審査基準を緩和するという文脈だったわけが、それがだんだん変わってきており、はっきり変えたと思われるのが、次の2つの判決であ

 

最判平成24年12月7日(刑集 第66巻12号1722頁)

裁判所 | 裁判例情報:検索結果詳細画面

最判平成24年12月7日(刑集 第66巻12号1337頁

裁判所 | 裁判例情報:検索結果詳細画面

 

この2事件の文脈を見ると明らかに猿払事件のフォーマットを変更しようという意欲が見られる。猿払判決に対して明確な敵愾心を出している千葉補足意見がついている。それから論理構成もひっくり返っている。猿払事件の場合と正当化論があとからくっついてきているわけだが、この正当化論の場所がよく読むと逆転している。

 

そして特にはっきりしてきているのが、君が代の起立斉唱命令事件。君が代についてはピアノ伴奏事件とは別系統にこの起立斉唱の問題があるが、この判決では間接的制約というフォーマットが非常に重要な役割を演じている。思想の表明そのものに関わる行為ではいけれども、個人の歴史観ないし世界観に由来する行動とは異なる外部的行為を求められるということになって、その限りにおいて思想良心の自由についての間接的な制約となる面があることは否定しがたい、と言っており違憲になる可能性をここで 指摘している。直接的制約ばかりが権利制約なのではなくて間接的な制約を拾わなくてはならないということをはっきりと言っている。そしてこの場合は間接的制約の検討をネグレクトすることはできないということを強調した上で、「そこで、このような間接的な制約について検討するに、」と言うように議論を立ててい。そして「これを本件について見るに」という当てはめの部分でかなり丁寧に検討がなされている

 

「君が代」起立斉唱拒否事件(東京都立高校再雇用拒否) 上告審

 

 

間接的付随的という言い方については、 2つの流儀があって両方とも今でも健在であるとひとまず見るべき、どちらのフォーマットかということを的確に頭の中で仕分けをしなければならないと思われるが、従来の猿払文脈ではい、すなわちアメリカ文脈ではい間接的付随的制約論というのがでてきている、いう側面には注意を払う必要がある。これは三段階審査論の影響かもしれない