k's point of view

経営を本業とし,その現場で毎日活動しています。このブログは,旧司法試験の問題を中心に,新たに実務的視点で考えてみるブログでしたが,最近は,ビジネス関連の雑考や法律・ビジネス関連の書籍紹介の記事が多くなっています。

憲法問題解析:遺伝子操作を用いる研究活動の規制

【問題】

甲県では,県内に多数存在する民間の研究施設(大学を除く)における研究が,遺伝子操作などを行っていることに対して、次のような規定を有する「遺伝子操作規制条例」を制定したものとする。規制対象となる遺伝子操作の概念自体は明確であるとして、同条例X条のAB各号の憲法上の問題点を指摘せよ。

X条 遺伝子操作を用いる研究活動においては、その実施主体は事前に県知事に研究計画の詳細を記載した許可申請書を提出し、県知事の許可を得なければならない。知事は、次の各号のいずれかに該当する場合には、不許可とすることができる。

A 当該研究活動の結果、地域の生態系や住民の健康に対して取り返しのつかない被害が発生するおそれがある場合

B 当該研究活動の内容が、学識経験者からなる県倫理委員会によって「人間の尊厳」に反しており反倫理的であると判定された場合

 

 

【論点】

1 学問の自由の法的性格・制約法理

2 事前抑制の可否

3 明白かつ現在の危険の法理

4 「倫理性」と内在的制約

 

 

【考察】

 

 本問法律は遺伝操作を伴う学問研究の自由に対して、事前許可制という事前抑制の仕組みで制限を加えている。事前抑制の仕組みを採る点がまず問題となる。表現の自由と同様に、先端的研究に対しても事前抑制が原則として禁止され、とりわけ検閲は絶対的に禁止されると解すれば、本問の事前許可制は違憲となろう。

 

(本問規制は、行政機関による研究内容の網羅的検討と許可制の組み合わせであるから端的に検閲に該当する。)

 

 しかし、事前抑制の原則的禁止・検閲の絶対的禁止という考え方は、悪しき言論の持つ害悪は思想の自由市場における言論の淘汰によって自然に除去されることを踏まえている。先端的研究によって引き起こされる被害の性質は、回復不可能な深刻なものになるという点で特殊性がある。よって言論の淘汰に期待することはできず、事前抑制の原則的禁止・検閲の絶対的禁止は先端的研究の自由に対しては当てはまらない。むしろ,社会的関連性の強い経済的自由の領域である職業の許可制に近いイメージかもしれない。

 

 次にA号は、被害発生のおそれのみを要件として研究の不許可という規制を可能にするものである。この点が、明白かつ現在の危険の法理に反するように見えるが、そもそも同法理は、比例原則の一つの表れにすぎず、惹起される危険の種類、およびその発生可能性を知りうる場合に有効な法理である。本問のような先端的研究では、危険の明白性・現在性を要求することは害悪発生を阻止するためには無意味であるから、同法理は妥当せず、結局A号は合憲である。

 

 B号は、倫理観を根拠として学問研究の自由を制約するものであるから、人権相互の矛盾衝突を理由とする制約(内在的制約)とはいえないが、表現の自由の内在的制約に倫理観に基づく制約が含まれないのは、倫理的非難の本来あるべき場は思想の自由市場だからである。ところが、先端的研究においては、その研究結果の倫理的当否を思想の自由市場で議論することは、既に登場している新規の生命体の否定(淘汰)に繋がるものではないから、無意味である。それゆえ「人間の尊厳」といったミニマムの客観的倫理観を中立的機関が認定するのであれば、倫理的理由に基づく規制も許されると解される。よってB号も合憲である。

 

 

【補足】

 

・先端的研究の自由の制約法理

 

先端的研究とは、予見不能だが重大な害悪発生の危険性を孕んだ研究や反倫理的な結果をもたらす可能性が高い研究を言う。学問の自由の一般的制約法理がここでも妥当するかは、疑問の余地がある。

 

1に、遺伝子操作などの先端的研究は、生態系や周辺住民の健康に取り返しのつかない甚大な被害を及ぼしうる。自由な研究活動が結果として生態系や住民の健康に悪影響を及ぼしたあと事後的規制をしても、取り返しがつかないという不可逆性を有する。この点に事前抑制の必要性がある。他方、思想の自由市場における淘汰が期待される一般の学問の自由は、政府が事前抑制による必要は全くない。

 

2に、未知の危険性を孕んだ先端的研究の場合、抽象的危険の存在は指摘しえても、現実の害悪がいつどのように発生するのかを予見することは困難である。害悪発生の危険性が具体化したといえる段階で初めて規制しうるのだとすれば、実際にはおよそ規制が許されないに等しいこととなる。先端的研究の場合、抽象的危険からいきなり現実の害悪へと移行するのであって、危険性が具体的に予見できる具体的危険の段階がない。具体的危険を導く経験則がないためである。

 

3に、反倫理的な先端的研究の場合、それが成功を収めると、反倫理的な事実が新規に創造されてしまうことになる。例えば、類人猿の創造。そもそも表現の自由で倫理や道徳を根拠とする制約が許されないのは、少数派の抑圧に繋がるからである。これに対して先端的研究が、実際に人間の尊厳を害するといいうる意味での反倫理的事実の創造を可能とする場合には、その淘汰を思想の自由市場に委ねるのは意味をなさない。そこで、反倫理的な事実の創造を伴いうる先端的研究に対しては、内在的制約論は妥当せず、倫理上の根拠に基づく法的制約も可能である。もとより、その際の倫理観が多数派の利害や偏見をそのまま反映したものであってはならないから、本問のように中立的な倫理委員会によって、何が「人間の尊厳」かを確定する手続は最低限の要請である。