k's point of view

経営を本業とし,その現場で毎日活動しています。このブログは,旧司法試験の問題を中心に,新たに実務的視点で考えてみるブログでしたが,最近は,ビジネス関連の雑考や法律・ビジネス関連の書籍紹介の記事が多くなっています。

アジアの社会主義国家の経済発展

 以前に本ブログで,積極的な外国資本の導入により発展を遂げてきた東南アジア諸国について述べた。 

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今回は,国家による大幅な市場介入政策を採ったため経済発展がその持つポテンシャルに比して遅れてきた国々を取り上げる。これらの諸国も,資本主義諸国の成功に倣い,部分的にせよ資本主義を導入することにより発展のきっかけをつかんだといえる。中国,インド,ヴェトナムを取り上げる。

 

 

第1 中国

 

1 経済統制

  (1) 大躍進運動

まずは大躍進運動を取り上げる。1953年から1957年にかけて,共産党により,第1次5カ年計画実施され,これはおおむね成功した。こうしたなかで,1958年5月,毛沢東により大躍進政策が実施された。食料の大増産を目指して人民公社が設立されたが,結末は惨憺たるもので,2000万人の餓死者を出した。

  (2) 文化大革命

大躍進運動の失敗により,政府は1961年から経済調整政策の実施を余儀なくされた。中央集権的管理の強化,中小型工業の淘汰,物質的刺激の容認,人民公社の規模縮小などである。ところが毛沢東は,これを資本主義の復活を目指す修正主義ととらえ,毛沢東に絶対的忠誠を誓う学生,労働者からなる「紅衛兵」を利用して,党内での権力闘争を開始した。これが文化大革命である。数多くの企業経営者,技術者,政治か,知識人が迫害を受け,障害者となったり自殺したものも少なくない。毛沢東復権により,市場主義の導入はさらに遠のいた。

経済統制の歴史は毛沢東という原理主義者とそれを支持する大衆の熱狂の歴史である。

 

2 経済改革の導入

いわゆる改革開放を取り上げる。

  (1) 農業生産

    1978年の請負生産制の導入は,農業生産の増大をもたらした。また,農民が自らの財産を元手に非農業領域に進出した。郷鎮企業の登場である。

  (2) 計画経済の縮小

    1984年には改革の重点を年に移した。それまで政府が一手に握っていたマクロ経済管理の権限を地方政府や企業レベルに移した。計画統制の緩和と非国有セクターの発展により,国民経済に占める国有セクターの比重は徐々に低下した。

  (3) 資金調達方法の多様化

    金融・財政制度の見直しが進み,さらに,1990年から1991年にかけて,上海,深圳に相次いで証券取引所が設立され,資金調達方法が多様化した。

  (4) 国有企業改革

    国有企業改革については,所有制には手をつけず企業自主権の拡大する試みから出発した。その後,大中型企業においては経営請負制度が実施され,小型企業では企業の売却,リース経営など多様な経営手法が実施された。企業の内部管理については,終身雇用と平均主義的所得分配により労働者を保護していた制度を見直し,1986年,経営者と労働者が雇用契約を結ぶ労働契約制度が導入された。

    ところが,こうした部分的な改革は国有企業の経営パフォーマンスの改善に結び付かなかった。そこで,政府は,1990年代半ば,所有制改革を行った。大企業については国が全部または主要部分の株式を握る形態に移行し,政府が資金援助を含めた政策的なてこ入れを行った。他方,小型国有企業は民間に払い下げられた。並行して,農村部の郷鎮企業も民営化が進められた。

  (5) 対外開放政策

    対外開放政策の内容は以下のとおり。政府は外国政府や国際機関に借款を要請するとともに,対外開放の拠点として,1980年,広東省の深圳,珠海,汕頭,福建省厦門の4か所に,のちに海南省も加わり,経済特区を設立し,海外直接投資を積極的に呼び込む政策を実施した。経済特区は,輸出加工基地として,また,外国資本を受け入れる窓口として,さらに,外国の技術を吸収する手段として機能した。1984年以降,さらに拡大し,沿海地域の14都市が対外開放された。引き続いて,長江,珠江,ビンナンの各デルタ地域,さらには遼東半島山東半島が開放された。1992年には,長江流域,内陸辺境地域が加わり,中国全土に対外開放地域が広がる,全方位開放の局面を迎えた。

    また,経済特区と並行して,為替レートの引き下げ,企業や地方政府に外資留保を許す外貨請負制度などの輸出振興策により,外向型経済へと転換した。2001年にはWTOに加盟した。

 

 3 経済発展の状況

 (1) 鉄鋼業

中国は世界最大の鉄鋼生産国である。2007年の鉄鋼生産量は4億8900万トンである。中国は,日本の生産量の4倍以上,世界全体の生産量の30%を超える鉄鋼を生産している。

  (2) 自動車産業

    2001年のWTO加盟を契機に,国内需要が爆発的に伸び,2007年には889万台を生産し,米国と日本に次ぐ第3位の自動車生産国に成長した。

 

 4 課題

  (1) 資源問題

    工業化の進展により,石油,銅,鉄鉱石など鉱物資源への需要が急速に伸びている。特に石油輸入量の伸びは著しく,2007年には,国内生産量が1億8600万トンであるのに対し,輸入量は2億1100万トンとなっている。2020年には国内総需要量が5億1200万トンに達するという予測がなされている。

    食料資源の問題もある。コメやトウモロコシをはじめとして,マグロや果物といった嗜好品の輸入も急増している。

    また,水資源の問題も中国の北部地域で問題となっている。

  (2) 環境問題

    中国の成長が地球環境に与える影響も懸念される。2007年時点で,中国はすでに米国に次ぐ第二の二酸化炭素排出国であり,世界全体の排出量の19%を占める。また,自動車生産量の伸びが示すように,今後,本格的なモータリゼーションが中国において出現することは確実である。

中国は現在,省エネ技術や生態環境保護の取り組みを真剣に始めている。2000年から始動した西部大開発では,当初から生態環境保護にプライオリティが与えられている。

 

 5 展望

   中国の資本主義は以下の点で特徴的である。①政府のプレゼンスの大きさ,②地域間,企業間,個人間での激しい生存競争,③政府組織内部での高い効率性。これらの特徴は,欧米型資本主義とも日本やNIESの成功例から抽出された東アジア型モデルとも異なる。

   中国は,今後もこのモデルを維持して成長できるであろうか。投資・生産・輸出に傾斜したこれまでの中国経済は,消費・輸入型経済に転換しつつある。

 

 

第2 インド

 

1 経済統制

インドは言語,宗教,カースト,文化の相違など多くの多様性を包含しているため,インド政府は,国家的統合の維持を図ることを至上命題としている。そのため,混合経済体制と呼ばれる経済政策が実施されてきた。これは1947年から1964年のネルー時代に確立された。混合経済体制は以下の内容を持つ。①公共部門拡大優先の原則。②民間部門への介入原則。③輸入代替工業化の推進と海外直接投資の抑制。

①について。インドでは,基礎的,戦略的重要性を有する分野での新規事業の設立は,専ら公共部門が担当すべきとされた。大手商業銀行や石炭産業の国有化,さらには経営不振産業の民間部門(多くは繊維産業),あるいは公企業の消費財,サービス産業への進出という形で,公共部門の肥大化が進行した。

②について。産業認可制度により民間部門に対する広範な経済統制が実施されてきた。一定規模以上の民間企業であれば,生産品目,生産設備,工場立地の変更にかかわる企業活動は,すべて産業許可証を必要とした。なお,産業認可制度以外にも重要物資法に基づいて,鉄鋼,石炭,肥料,綿織物など重要物資の価格,流通,供給が統制下におかれた。

③について。インドでは,経済的自立の達成を目指して,輸入代替工業化が推進されてきた。これを推進するため,厳しい輸入規制を行った。輸入規制に関しては,「重要性」と「国産品入手不可能性」を基準として輸入の可否を政府が決定する政策をとった。この基準により,重要かつ国産不可能なものに限り輸入が許可された。一方,一般に輸入代替工業化の採用は往々にして海外直接投資の流入拡大を伴うものだが,インド政府は外資流入に対しても抑圧的な態度をとった。物品という形でも資本という形でもインドという国は外国からの流入を抑制したということになる。

 

2 経済改革の導入

1980年代を迎えて規制緩和が導入された。さらに1991年7月にナラシンハ・ラオにより導入された経済改革により混合経済体制にメスが入れられ,インド政府は経済自由化を推進した。この経済改革は以下の内容を持つ。①公共部門にのみ留保されていた分野への民間部門の参入がほぼ全面的に認められた。②貿易面や外資流入面での漸進的自由化。

これらの政策により,消費財の価格低下,品質向上をもたらし,国内市場が拡大した。また,外国資本の流入生産財の輸入拡大によりインド産業の競争力が強くなった。

 

3 経済発展の状況

 (1) IT産業

インドは世界でも屈指の高等教育人口を抱える人材大国である。1980年代以降,多くの優秀なインド人学生が,自らの才能を発揮できる機会を求めて米国に留学した。そして彼らは,1990年代におけるIT革命に遭遇し,活躍の機会を得た。米国在住のインド系住民は230万人を超えている。彼らの多くはプロフェッショナルとして活躍すると同時に,米国企業の対インドITアウトソーシングにおける人的パイプの役割を果たしてきた。

現在,世界のIT産業に占めるインドのシェアは,4%にとどまっているが,ITの海外アウトソーシングに関しては世界トップである。海外アウトソーシングとは,生産工程を海外の第三者に委託することをいう。コスト削減,開発期間の短縮を目的とする。特にサービス業務を委託する場合をオフショアリングという。オフショアリング先に占めるインドのシェアは,ITサービス(アプリケーション開発やメインテナンスを主とする。なお,当初はプログラミングやバグ修正が中心であった。)では65%,ビジネスプロセスアウトソーシングBPO財務会計,人事管理,調達サービス,さらに近年は,金融サービス調査,データ解析,モデリング・予測などハイエンドなサービスも登場している。)では46%を占める。

目下,インドのIT産業は,ITサービス,BPO,ソフトウェア製品・エンジニアリングサービス(ソフトウェア製品開発,半導体のデザイン,製造業向けCAD/CAM,組み込みソフトウェア),ハードウェアの4つから構成されている。それぞれの分野で高付加価値化が進行している。

IT産業は,技能集約的,高生産性活動であり,その労働生産性は製造業の2倍である。高所得を享受するIT技術者の雇用の拡大が,インド経済の発展をさらに進めることになる。

  (2) 自動車産業

    工業部門に関し注目される点は,経済全体への波及効果の大きい自動車産業の拡大である。1991年以降の経済自由化の本格化に伴い,自動車産業も産業認可制度の適用対象から外されたことにより,自動車産業の発展が始まった。国内市場の潜在的大きさに期待する日米欧韓の大手自動車メーカー,部品メーカーの進出が活発化した(なお,1980年代,スズキがインドへ進出していた。)。

    また,タタ・モーターズの乗用車部門への進出も見逃せない。世界の自動車産業に衝撃を与えた同社の10万ルピー車(ナノ)に象徴されるように,低コストで製造できる倹約型製造方法の分野では,インドは既に注目されるべきレベルに達している。これは,生産管理面でのベストプラクティスの導入,ITツールの活用を背景とする。

  (3) 鉄鋼業

鉄鋼業も自動車産業と同様,特筆すべき拡大傾向を示している。け生産の拡大,生産性向上,品質改善が進んだ。2007年1月には,タタ・スチールが欧州第2位の英蘭鉄鋼メーカー,コーラスを129億ドルで買収し,世界第6位の鉄鋼メーカーに一躍躍り出ることになった。同社は①自社鉱山による豊富な鉄鉱石,②低コスト鉄鋼メーカー,③すぐれた人的資源という強みを生かしてグローバルに事業を展開している。コーラス買収に先立ちシンガポール,タイに進出している。

 

 4 課題

  (1) 規制緩和の不徹底

    産業認可制度が事実上撤廃されたとはいえ,砂糖,石油精製,肥料,製薬の分野では,今だに経済統制が敷かれている。また,石炭産業は今だに国有産業で非効率を背負っており,エネルギー供給面で支障をきたしている。農業部門では,農産物の加工,流通を規制する法律が残存しており,アグリビジネスの発展を阻害する要因になっている。

    また,工業部門での労働集約的雇用を阻んできた硬直的な労働関係法の改正も急務である。

  (2) 非効率なガバナンス

    インドでは憲法の規定上,農業,教育,保健衛生,鉄道と通信を除くインフラなどは,州政府の専管事項あるいは州政府と中央政府の共管事項とされている。州政府は腐敗しており,効率的な政策決定がなされていないのが現状である。

  (3) インフラの未整備

    インドの電力供給は劣悪である。東電等により,電力会社は慢性的な赤字に苦しんでいるためである。ピーク時の電力不足は約16%である。日常的に停電するため,工場・事業所の多くは自家発電装置・無停電電源装置の設置を余儀なくされている。

また,鉄道,道路,港湾,の物流部門のインフラの整備も遅れている。道路事情は劣悪で混雑が深刻である。鉄道は飽和状態であるが近年コンテナ輸送の民間参入が認められ,効率化の兆しがみられる。また,デリー―ムンバイ,デリー―ハウラー間で高速貨物専用鉄道が建設される見込みである。港湾については,施設の増強や処理能力の向上が図られている。

    なお,インフラの未整備の重要な例外は,通信分野である。

 

 5 展望

   以上の課題にもかかわらず,インドの未来は明るい。インフラは整備されつつある。また,発展の先導役を務めた豊富な高度人材はまだまだ供給される見込みである。また,サービス産業傾斜の状態からの脱却が見られ,産業全体の底上げの兆しがみられる。さらに,人口の年齢構成が若く,2040年頃まで人口ボーナス(人口に占める生産年齢人口の比率が上昇する現象)が見込まれる。

 

 

第3 ヴェトナム

 

1 経済統制

1975年,ヴェトナム戦争旧ソ連が支援する共産主義勢力の勝利で終結した。ヴェトナムは焦土と化し,統一国家再建に向けた試みはゼロからのスタートとなった。1976年末,第2次5カ年計画を策定した。同計画は,旧ソ連を模範に,ヴェトナムを20年以内に近代的な工業を持つ社会主義国に変えるという目標を掲げた。しかし,同計画中の社会総生産は,1.4%増に終わった。原因は,①自然災害による農業生産の低下,②集団化による農業生産の低下,③西側諸国の援助停止,④1978年12月のカンボジア侵攻と1979年の中越戦争により戦時体制に戻ったこと,である。

 

2 経済改革の導入

ヴェトナムは深刻な物不足に陥った。1979年,党は「新経済政策」(NEP)を実施した。NEPは,国民生活の安定化を図るため,国営企業や合作社に計画外の生産や流通を容認した。これにより生産意欲が刺激された。他方で,インフレが深刻な問題となった。農家がコメを価格の高い自由市場へ供給するようになったからである。

1985年,党は価格,賃金,通貨について画期的な決定(八中総決議)をした。これは以下の内容を持つ。①配給制の廃止とそれに伴う生活費に見合った給与の支給,②「公定」と「市場」が併存する二重価格制度の見直し,③デノミとドンの切り下げ。この決定がドイモイの出発点である。

1990年代に入ると,インフレが終息に向かい,経済は成長局面に入った。1991年のコメコンの崩壊は少なからぬ影響を与えたが,その影響は中国,東欧諸国より軽微であった。理由としては,1980年代から全方位外交を展開し,アジア諸国との貿易が盛んになっていたこと,農家請負制の導入によってコメの輸出を実現するなど,農業生産が飛躍的な増大を遂げたこと,が挙げられる。

1991年から1995年のGDPの平均伸び率は,8.2%となり,ヴェトナムは高度成長の局面に入った。理由としては,ドイモイが軌道に乗ってきたこと,日本政府やIMFが資金供与を開始したこと,海外直接投資が増加したこと,原油の輸出増により潤沢な外貨を獲得できたこと,が挙げられる。

高度成長を実現したことにより改革のスピードは一時鈍化したが,1997年のアジア通貨危機によって,改革は再び促進された。アジア通貨危機を契機として,海外直接投資が頭打ちの状況に陥ったことや,国営企業の牽引力低下に党が危機感を抱いたためである。

2000年,新企業法が施行された。これを契機として民間企業の設立ラッシュが続いた。民間投資は生産性向上と雇用拡大の原動力となった。

海外直接投資に関しては,2005年以降,顕著な伸び見せ,2008年には,投資金額で600億ドルを達成した。これは前年の約3倍である。

 

 経済発展の状況

 (1) 市場経済

2000年に施行された新企業法は,会社設立の手続を認可制から登録制に変更した。また,省レベルの人民委員会が設けた細々とした規制が撤廃された。これにより,民営企業が爆発的に増加した。労働集約的な製品の輸出を手掛ける民営企業の多くは加工要因を正規の社員としてではなく,農家との委託加工契約を通じて確保していることから,家内工業における雇用増加のかなりの部分を民営企業が担っているといえる。

  (2) グローバル化

    1988年,政府はヴェトナム初の外国投資法を施行した。これにより,①セメントや鉄鋼などの基幹産業,②ホテル・アパートなどの不動産産業,③労働集約的な輸出産業,④市場の成長性に期待した消費財の産業が成長した。1990年代前半,ヴェトナムは「東南アジア最後のフロンティア」として世界中の投資家の注目を集めた。

  (3) 金融深化

の対GDP比率をみると,ヴェトナムは過去10年間でフィリピンを追い抜き,タイと同等の水準に達した。これは,家計・銀行・企業の間で資金が循環していることを示し,銀行の信用創出機能が強化されてきたことを示す。経済発展により貯蓄率が上昇したことがその要因の一つである。また,もう一つの要因として,金融セクター改革によって銀行に融資拡大のインセンティブが与えら得るようになったことも挙げられる。さらに,もう一つの要因として,民営企業の台頭を受けて借り手となる企業が多様化し,融資の受け皿が広がったことも大きい。

証券市場も拡大した。ヴェトナムには現在,ホーチミンハノイに証券市場がある。

 

 4 課題

  (1) グレーゾーンの拡大

    民間セクターにカウントされる株式企業の中には,国営企業の出資を受けているものが少なからず存在する。このような,民営と国営のグレーゾーンにいる疑似民営企業を国営セクターにカウントすると,ヴェトナムの市場経済化は後退している可能性がある。

    また,グレーゾーンの拡大の影響は金融市場にも及んでいる。大規模国営企業が証券,金融,不動産投資を目的とした子会社を相次いで設立したことが,2007年の証券及び不動産バブルの一因となった。

  (2) 賃金上昇と人手不足

    海外直接投資の先行きが懸念されている。その理由の一つは,実行性が疑われるプロジェクトが増えていることである。政府は,2006年に投資の許可権限を地方に移譲したところ,地方政府は許可を乱発した。ゴルフ場がその例である。もう一つの理由として,輸出と雇用の底上げに貢献する輸出志向型の投資は伸び悩んでいることが挙げられる。インフレに伴う賃金の上昇や未熟練労働力の不足が表面化したことを受け,海外の投資家はヴェトナムに対する評価を引き下げた可能性がある。

  (3) 部品産業の未集積

    ヴェトナムにはバイク産業を筆頭に,国内市場向けの組み立てメーカーが多く進出し,それを後追いするように系列の部品メーカーが進出するというパターンがみられる。いずれのメーカーも競争力強化を図るために,現地調達率の引き上げが至上命題となっている。しかし,現地調達できる原材料や部品が限られているため,部品調達率はなかなか上がらない。

 

 5 展望

   ヴェトナムの成長性に対する評価は高い。評価の根拠として重要な事実は,政府への信頼である。ヴェトナムは,農業国から工業国への転換,及び,計画経済から市場経済への移行を確実に進めてきた実績を持ち,また,対外開放政策によってグローバル化に積極的に対応してきた実績を持つ。なお,その他の理由としては,政治・社会の安定性,勤勉な国民性,低廉で安価な労働力,8000万人を超える人口,が挙げられる。

   一方で,賃金上昇,労働録不足,産業集積の不足,さらには2008年のリーマンショックに端を発する世界経済危機により,労働集約型産業を核にした輸出志向型経済は行きづまりつつある。新たな外資誘致戦略が求められる。必要とされるのは,職業教育の拡充と裾野産業の育成である。

   昨今,韓国や台湾企業では,ヴェトナムを部品生産拠点として位置付ける動きがあること,また,東アジア全体を包摂する自由貿易協定のネットワークとそれを支える物流インフラの整備が進みつつあることは,大きな希望である。

 

 

総括

 

 1 民主主義か官僚主義

共産主義国家は一党独裁により安定した政策を実行できる。腐敗の問題に気をつける必要はあるが,政治システムは安定的であり,経済政策に通じた優秀な官僚を確保することができれば,各国の成功例,失敗例を丹念に分析し,効率的に政策決定をすることができる,というわけである。

 

 2 資本主義か共産主義

市場のインセンティブに対する信頼は,いまやどちらの立場にたっても変わらない。重要な相違は,市場への介入のし易さである。ある大規模な政策を実施するために土地を買収したり,自国の輸出産業を保護するため為替相場に介入したり,ある特定の産業を成長させるため投資を誘導したり,バブル的な市場を可及的に速やかに沈静化したりする市場介入的な政策は,共産主義国家においてはより容易である。もっともそこには,効率的な資源配分を人為的に決定していかなければならないという困難も付きまとう。

 

 3 日本の政策決定

   日本の経済に目を転じると,政権は安定せず,産業振興政策は一点集中でなくモザイク型で,いかにも頼りない。

さらに,財政の悪化により機動的,大規模的な国家投資が制約されている。なお,民間投資に目を転ずれば,①貯蓄率の低下がこれからも進むとみられること,②銀行は国債を主要な運用先としているところ,高齢化,失業などによる社会保障費の増大により国債発行歯止めがかからないことから,先行きは暗い。

 

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・ 参考文献

 

アジア経済読本(第4版) (読本シリーズ)

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