k's point of view

経営を本業とし,その現場で毎日活動しています。このブログは,旧司法試験の問題を中心に,新たに実務的視点で考えてみるブログでしたが,最近は,ビジネス関連の雑考や法律・ビジネス関連の書籍紹介の記事が多くなっています。

企業価値向上のポイント

はじめに

 

 企業価値を高めるには,長期的に価値を創造できるようにして,長期的なキャッシュフローの改善に注力すれば良い。

 ファイナンス戦略部隊が資源配分の決定及びレポーティング面でそれをサポートしなければならない。長期的利益を犠牲にして短期的利益に走らない。体面に気を取られ無駄なリスクを取ってはならない。M&Aの社長直轄部隊のような戦略的ファイナンス部隊を作らない。業績予想開示は上場企業に求められる必要最低限だけを行う。短期的な業績,短期的な株価動向,短期投資家の意見は無視すればよい。

 結果として,短期的利益を追求する株主が排除され,長期的に投資する株主が増えれば株式市場でのファイナンス戦略は成功し,企業価値向上にも大きなパートナーを得たことになる。

 

※ 株式市場が企業が将来的に生み出すキャッシュローに基づき株価を決定することを考えれば,「非公開化で経営の意思決定を迅速にし,短期的な業績変動に左右されることなく事業改革を実施する」というよくあるMBOの目的は,「上場後に経営の意思決定が遅くなり,短期的な業績変動に左右され事業改革を実施するどころではなかった」ことを株式市場のせいにしているように思える。株式市場のメカニズムを理解していない。



onlythegoodyoung.hatenablog.com

 

 

1.証券市場へのdisclosureポリシー

 現状,業績予想開示の方式は,通期の売上高,営業利益,経常利益,当期純利益,1株当たりの当期純利益,及び1株当たりの配当金の予想値を次期の業績予想として開示する「表形式」が広く採用されている。

 現在,他方で,将来の業績を予想するのに有用な情報として,定性的な記述を行ったり,経営指標や財務指標の見込みを開示したりするなどの「自由掲載形式」も認められる。

 資産の価値は,その資産が将来生み出すキャッシュフローの現在価値である。実際,DCFモデルでは5年から15年程度の予測期間における現在価値と予測期間以降の永続価値の現在価値の合計で企業価値を算出する。企業が永続する前提で株価を算出するため,次期の業績が株価に占める割合はごく僅か。業界によって差はあるといえ,5年以降のキャッシュフローが現在価値に占める割合は,8割ほどとなっている。もちろん次期のEPS予想に予想PERを掛け合わせて株価を予測するようなアナリストにとっては死活問題だろうが,長期的に企業価値を創造する使命を担う経営者には関係のない話である。

 米国では証券取引委員会及び取引所は上場企業に将来予測情報の開示を求める規制を定めていないため,自主的な情報開示となっていて,さらに,業績予想開示の有無が株価に影響を与えることはない。マルティプルに関しては,調査ではEV/EBITA(EBITDAではない)が利用されたが業績予想開示の有無による差異はない。株価リターンに関しては,業績予想開示を開始した年のTRS(株価変動に配当を加えたリターン)が業績予想開示を行わない企業のTRSと異なることはなかった。ボラティリティに関しては,業績予想開示を開始したからといって必ずしも下落することはなく,下落する企業と増加する企業がほぼ半々であった。流動性に関しては,業績予想開示を開始した年には売買高が増えるが,翌年にはその影響も徐々に消えていった。

 

※ 一旦行った業績予想開示を中止するケースは注意が必要である。中止の発表時に株価が平均4.8%下落したという調査結果があるからだ。しかし株価の下落は業績予想開示の中止自体が原因というよりも,業績予想開示の中止をすることが,将来の業績見通しの悪化の兆候だと判断され,将来のキャッシュフロー予想が下方修正されることが原因と考えられている。つまり,業績が悪化すると考える企業が業績予想開示を中止することが多いということだ。業績予想開示を中止するならば,業績の良い時が良い。

 

 このように,業績予想開示に顕著なメリットがあるようには思えない。その上,コストは確実にかかる。まず経営者は業績予想に時間を割かねばならない。実績が業績予想を下回れば,株価が下落したり,資本市場からの信頼を失ったりするなどの影響があるため,かなり時間をかけて業績予想値を決定することになる。もちろん状況が変われば,業績予想を修正することも必要になる。しかし,経営者の時間以上に大きなコストは,経営者が短期主義の罠に嵌ってしまうことである。つまり,必要な広告費の支出を削減したり,必要な設備投資を減額したりして自社の予想値を達成しようとするのだ(もちろん数字をプレッシャーにして経費・投資の必要性を精査することは,株式市場による経営ガバナンス推進の健全なシステムである)。たしかに短期的には面目を保つことができるが,目先の支出の削減が将来的に会社の競争優位性に悪影響を起こすことも考えられる。株主のためにもならない。

 また,実際のところ企業側の業績予想も必ずしも当てにならない。業績予想を下回れば株価が下落したり,資本市場からの信頼を失ったりすることが分かっている以上,企業が必要以上に保守的な予想を出すこともある。場合によっては,「あの会社の期初の予想は保守的だが徐々に上げてくる」というような憶測が飛び交うこともある。これでは完全にゲームであり,企業がキャッシュフローを生み出す能力以外の理由で株式が売買されかねない。株主の質も悪化することになる。

 情報開示でDCFモデル作成を手助けする,バフェットの投資家とのコミュニケーションのガイドラインは至ってシンプルである。バークシャー・ハザウェイ社のガイドラインは,立場が逆になった場合に私たちが知りたいと思うビジネス上の事実を株主に伝えることであり,同社のアニュアルレポートは,同社自身が内在価値を算出するために利用する事実を提供するものである。

 長期的な投資家は,長期的な企業価値の創造に影響するバリュードライバーの動向や見通しを把握できればよいはずだ。だから,売上成長,営業利益率,追加投資といったバリュードライバーに影響を与える各要素の現状と見通しを示せばよいだろう。財務数値自体よりも,その根拠となる事業上のデータを示すということだ。

 例えば,将来的な業界の規模,自社のマーケットシェア目標,プロダクトパイプライン,価格動向の見通し,コスト削減目標,投資計画などを示せば,投資家やアナリストは自分で宿題をやり,財務値予想はできるはずだ。また経営者が,中期計画の進捗状況を把握するために利用する経営指標を公表するのも良い。

 経営指標は良くても悪くても一貫して継続的に公表する必要がある。悪化したからといって公表をやめてはならない。

 中期経営計画の内容について投資家が改善を望む点としては「目標達成までのプロセス・戦略が明確でない」,「ビジョンが抽象的で分かりにくい」というものがある。彼らは中期経営計画の目標達成プロセスを知りたいのだろうから,バリュードライバーの見通しや主要な経営指標を公表すれば,具体的な業績予想開示があろうがなかろうか大して変わらない。

 バリュードライバーや重要な経営指標の現状や見通しを示すことによって,投資家やアナリストはDCFモデル作成に必要なデータが入手できるはずだ。長期投資家であればあるほど,PERやPBRなどのマルティプル分析よりもDCFモデルを利用することが多い。長期投資家によって価値のある情報を提供することにより,株主に占める長期株主の比率が高まる。

 

※ 一方,IPOしたばかりのベンチャー企業に関しては,投資家やアナリストの期待が妥当な水準に収まるように,コンサバティブな業績予想開示を行うのも良いだろう。ベンチャー企業に関しては,過去の業績データが限られる。投資家もアナリストも情報不足により宿題が大変であり,場合によっては過度な期待をし,株価が正当な水準を超えてしまうリスクもある。株価が暴落すれば,企業への信頼感は消滅しかねないため,短期経営の罠にはまりかねない。



2.IRは社長の仕事(自分の想いを自分の言葉で伝えよ)

 IR活動は直接的にはカネを生むものではないが,カネの生み方に関して株主や投資家から客観的な意見をもらえる良い機会である。社長は会社にいる限り,誰にも意見されるようなこともないだろうから,いくらでも言いたいことや聞きたいことを持っている「ボス」との意見交換は経営上のヒントを得られるかもしれない貴重な機会なのだ。

 コミュニケーションのチャネルに関しては,投資家は社長との直接の対話を望んでいる。バフェットはこう述べている。「広報部門やPRコンサルタントが作成したメッセージは読みたくない。CEOに自分の言葉で現状を説明してもらいたい。」。ここに表れている通り,投資家が資本を託し経営を委託するのは第一義的には社長であり,そういった事物の本質上,IR活動や広報活動は社長の仕事である。IR担当者や広報担当者のようなメッセンジャーには社長の志や魂の叫びを代わりに伝えることができるはずもない。

 問題は社長に経営に関するポリシー・ビジネスモデルに関する構想・企業の長期的発展のストーリーがあるかどうかだ。この点,創業経営者や創業一族系の経営者は,ストーリーやメッセージに事欠かないことが比較的多い。自分でゼロから会社を興したり,この世に生まれた時点で後を継ぐことが決まっていたりするため,個人やファミリーのストーリーの一部としてビジネスが存在するからだ。そのような多くの場合では,ビジネスモデルを語ることができないということはない。

 一方,非創業系・非創業一族系の日本の経営者の大部分はビジネスモデルが答えられない。企業のストーリーが語れない。ほとんどの経営者は,単なる「担当者」になってしまっている。社長がこの程度の人材であれば,株主と会うたびに株が売られ,株価が下がることになる。実際,わざわざ社長が海外ロードショーに行って株価が下落するケースもある。

 中期経営計画に関してもそうである。投資家が改善を求めているのが「目標達成までのプロセス・戦略が明確でない」,「ビジョンが抽象的で分かりにくい」という点であったが,これは経営者が真面目に考えていない証拠である。とりあえず利益の目標数値を示せば文句は言われないだろう,という中途半端な気持ちの表れではないだろうか。これでは皮肉屋な投資家やアナリストのノイズに負けてしまう。「自社についてのネガティブなアナリストレポートを読むと,がぜんやる気が出る」と日本電産永守重信社長は述べていたが,株式市場は野球のメジャーリーグ同様に競争・戦いの場である以上,企業は経営者にこのようなファイティングスピリットがないと生き残れないのだ。

 すべてを会社から得ている以上,一歩間違えればすべてを失うことがオーナー経営の構造的特徴である。資産のリスク分散と正反対の立場にいる。だから,IRでのコミュニケーションがどうのこうのという以前の安心感がある。株主と同じ船に乗っているのだ。この安心感により資本コストが下がるということであり,結果的に株価は上がることになる。コモンズ投信の井伊哲朗社長は「リーダーシップを重視すると,結局ポートフォリオにオーナー系が多くなる」と話している。

 創業経営者のような実績やコミットメント構造がないのであれば,ビジネスモデル,簡単に言えばカネの儲け方について考えに考え抜いて自分の信念を自分の言葉で投資家や株主が納得できる形で説明するしかない。そして説明の通りに実現していくのだ。実現できなければ辞めればいい。実現できない経営者が辞めれば株価は上がり,株主のためになる。これがコミットメント経営である。

 具体的には以下のような内容を投資家やアナリストに訴えればよい。特に最後のコミットメントの有無が大きな差を生むはずだ。

① 現状はこうである

② 将来はこうありたい

③ そのために●●の分野もしくは地域を攻める

④ そのために必要な能力は●●である

⑤ その能力はこうして育てる

⑥ できなかったら辞める

 社長にはカネを生む仕事だけをしてほしい。

 

松井証券の松井社長は「日本の経営者で,あなたのようにはっきりとものを言い,自己主張をする人に会ったのは初めてだ」と言われたそうだ。広告のキャッチコピーも自分で書き,志や魂の叫びを綴っているという。

 

※ もちろん,社長自らがIR活動を行う以上,IR部門は社長が時間を割くに値する株主や投資家を選別できなければならない。IR担当者で済むような質問を社長にされても困るからだ。貴重な時間を投資する以上,社長にとって学びがなければならない。

 

 

3.競合ベンチマーク(マルティプル分析で市場の期待を把握すること)は財務の重要な仕事

 DCFモデルが長期的なキャッシュフローを予測する正当な評価方法であり,マルティプル分析は現在の株価をベースに競合他社と比較するショートカットである。

 株式市場はDCFモデルに基づいて株価を決定していると考えられるため,もちろんDCFモデルを利用して,自社の内在価値,つまり理論株価を算出するのが正しいのであるが,社内の人間であろうとも長期の業績予測は困難であり,また資本コストを正確に算出するのもほぼ不可能なため,企業による利用はお薦めしない。

 そこで財務部門には,PER,PBR,PCFR,EV/EBITDA(EBITAでもよい)といったマルティプルを競合他社と比較することはお薦めする。マルティプルを算出するのは,他社と比較して割安だと不満を言ったり,割高だといい気になったりするためではなく,市場の期待水準を把握するためである。

 これらのマルティプルが競合他社と比較して高めの場合要注意である。業績下方修正や成長鈍化の兆候などのネガティブなニュースがあると,株価が急落することが多いからだ。株式市場の期待というものは,何か確固たる根拠に基づくものではないため非常にもろく,一瞬で消え去ってしまう。もちろん経営に深刻な問題があるということではなく,期待水準が修正され,適切な株価水準に修正されたに過ぎないのだが。マルティプルが高めの場合は,経営者は謙虚になり,会社が株価にふさわしいのかどうか,株価に織り込まれた株式市場の期待は高過ぎないか,それだけの成長の機会が本当にあるのかなどと自問すべきである。経営者が株価上昇にのぼせあがり,守りに入り,短期的な業績,短期的な株価動向,短期投資家の意見などを重視すると,経営の質が急激に悪化する。

 一方,株価が下落している時には,真摯にその原因を考える。割安だとか,株式市場はおかしいなどと考えてはならない。なお,この場合で中長期の成長シナリオに疑念が生じ,株主・債権者からの信頼が揺らいでいる場合は,短期的利益と長期的利益のバランスをうまく図りながら経営の舵取りをしていく必要もあろう。



4.利益が減っても必要な投資は行う

 投資を行うと,その年度はキャッシュアウトフローが発生し,キャッシュフローにマイナスになることもある。しかし,その後投資額を上回るキャッシュインフローがあるはずだ。トータルで考えれば企業価値は高まるのだが,投資を実施したタイミングだけを見ると,キャッシュフローが悪化し,利益も減るということになる。よって,短期主義の罠に嵌る企業は,業績予想値に達しないようであれば,投資先送りという利益調整をすることになる。ただし,その間に競合他社が投資を行うリスクもある。短期的にはメンツを保てても,長期的には競争優位性にマイナスの影響を与えかねない。

 つまり,損して得取れ。長期的に投資額を上回るキャッシュインフローがあるなら,短期的に業績が悪化したとしても,投資を行うべきなのだ。アナリストや短期投資家は短期的な業績の悪化が原因で大騒ぎするかもしれないが,株式市場はそうではない。たとえば,R&D投資は費用として利益を圧迫するが,R&D投資を行う発表をした後に株価が上昇することも多い。それは株式市場が長期的な視点でキャッシュフローの動向を判断しているからだ。



5.ストックオプション制度に頼らない(報酬は長期のパフォーマンスに対して払う)

 ストックオプション制度の持つ問題点

・株価は業績以外の多くの要因に影響を受ける

・株価は短期的には期待と実績の差で変動する

・行使価格が一定であることが多い

・株価に影響を与えられるのは経営陣に限られる

・希薄化防止のために自社株買いをする

 ストックオプション制度は短期主義を助長している。ストックオプション制度によって短期株主とアナリストの利害とは合致したかもしれないが,長期保有の株主の利害と合わなければ意味がない。

 ストックオプションのばら撒きは報酬制度ではない。報酬財源の株式市場への“アウトソース”に過ぎない。創業経営者は10年後,20年後を見据えて経営する。企業にそうした文化が根付く評価報酬制度を考えるのが本筋であろう。

 

※ 長期的視点を持つ経営風土がないと,社員まで短期株主のような行動を取るだけだろう。株価が上昇する見込みがなければさっさと辞めてしまう。会社の経営方針やビジョンではなく,配当性向や配当利回りで株主を引きつければ,もっと配当の水準の高い企業に目移りするのと同じだ。株価上昇を前提とした報酬制度は,株価上昇が止まった時点で機能しなくなる。このような制度よりも,業績が良かった場合に,サプライズで臨時ボーナスを払う方がはるかに効果的である。企業における人事評価制度は,社員が長期的に企業価値を創造することに寄与しているかどうかを評価するものでなければならない。

 

 

6.M&A投資枠は設定しない,M&A部門は持たない

 バフェットは打率4割を達成した「打撃の神様テッド・ウィリアムズの著書「バッティングの科学」を引用してこのように説明する。テッドはストライクゾーンを77個のセルに切り分けた。各セルのサイズはボール1個分である。彼にとって“最高な”セルの投球だけを打てば4割になり,“最悪な”セル(外角低め)に手を出すと2割3分に打率が落ちることを彼はわかっていた。つまり,打ち頃の投球を待てば野球殿堂入りで,どんな投球でも無差別に打ちにいけばマイナー行きということだ。これは打ち頃の投球が来るまで待つという姿勢を意味している。実はこれが通常は難しい。金融機関は投資家をアクティブ,つまり動かすことで手数料を取り利益を上げる。投資家が株式の取引を頻繁に行えば行うほど利益を上げることができるし,M&Aもしかりである。彼らの提案には,打ち頃のものもあれば,そうでないものも混在する。投資家自身が判断をしないといけないのだ。残念ながら,M&A経験の浅い企業が的確な判断ができるとは思えない。よって,株式市場も買収の噂に素早くネガティブに反応する。

 

※ 2012年3月,海外ファンドが売却に動いていたと東欧のビール大手スターベブの買い手として「アサヒが最有力」と伝わると,アサヒグループホールディングスの株価が急落した。結局,米国企業による買収が決まると,今後は株価が急反発した。「高値づかみ」による企業価値の破壊が株価に織り込まれるのだ。信用されていないということである。

 

 昨今の日本企業によるM&Aは,円高と潤沢な手元資金が主な要因と考えたくもなってしまうが,本来は買収先の持つ長期的な可能性を買っているはずだ。そのために時間をかけてデューデリジェンスを行うわけだ。アナリストや短期投資家のように,配当性向,自社株買いの有無,次期EPS予想,PER,サプライズの有無などで買収先を評価することはない。M&Aでは投資期間は無限に近いわけであり,短期的な魅力度は重要ではない。長期的にどのような価値を買い手にもたらしてくれるのかが極めて重要になるはずだ。

 2000年代半ばからビールや化学など内需依存度の高い業界を中心に金額を明示する企業が目立ってきた。国内需要の先細り懸念が強まる中,成長戦略の一環としてM&Aが定着してきたことがその背景にある。金額を明示する企業は数十社あり,合計は約数兆円になるという。もちろん投資枠があるおかげで,枠以上の無駄遣いはできないのだが,枠の範囲内で無駄遣いは発生する可能性はある。おそらく社内にM&A検討チームのようなものが発足しているはずだ。彼らの評価はM&Aの実績となるだろうから,良い案件が無かったのでM&Aを一切実施しなかったとは言いにくいはずだ。また,自分の財布の中身を見せている以上,投資銀行などからM&Aの案件はいくらでも持ち込まれる。もちろん,投資銀行が,M&AよりもROICの改善が企業価値の創造には大事だと提言することはない。一円にもならないからだ。ROICが低い場合は成長率を高めるよりもROICを高める方が企業価値に与える影響は大きいのだ。しかもM&Aのように莫大な投資額が必要になるわけでもない。資産をスリムにするだけでROICは上昇する。

 また,M&A失敗の悲劇はかなり先の時点で生じるため,M&A検討チームはとりあえず実績作りをすることになる。もちろんM&Aの発表の翌日には株式市場は将来の悲劇を予測して株価を下げるだろうが,M&A検討チームは,バフェットの比喩を使えば,既に次の外角低めの球を打つ構えに入っている。M&A投資枠の金額は株主に還元する方が株主にとって望ましい結果になるだろう。

 そもそも,企業が高成長を維持するのは不可能である。iPhoneを見ても明らかだが,ある段階に達すると市場構造は安定し,市場の成長も国の経済成長も鈍化するからだ。DCFモデルによる企業価値評価においても,長期的には,成長率≒GDP成長率,と想定する。経営者は無理な抵抗はせずこの当たり前の現実を受け入れるべきである。

 そもそも投資家はポートフォリオを構築して株式投資をしているため,特定の会社が成長し続けることを求めていない。ポートフォリオ内に一定の割合で成長企業があれば良いのだ。成長が止まった企業があれば,その株式を売却し新たな成長企業に投資をするだけの話である。成長が止まり株価が下落するのは経営者としては嬉しくはないだろうが,投資家の立場に立って考えれば,これも自然なことである。

 成長のためにM&Aを行い,M&Aが失敗し株価が下落しても投資家は売却するはずであり,どちらにせよ売却されるのは同じ話であるが,異なるのは,M&Aの失敗により企業価値が破壊されていることである。単に成長が止まるだけであれば株価は下落しても,企業価値は破壊されはしない。M&Aに投資した金額を配当や自社株買いにより株主に還元していれば,株主はその資金を他の成長企業に投資できたはずだ。そしてその成長企業も投資により成長を加速できたかもしれないのだ。

 

 

7.手元資金は多く保有しておく

 最適な手元資金額はわからない。高成長,高リスク企業は手元資金を潤沢に持つことが普通である。高成長企業は成長投資の機会が豊富であり,手元資金を十分に持つことで投資のチャンスを確実につかむことができる。一方,高リスク企業であれば,業績の悪化によりキャッシュフローが悪化すると十分な投資ができなくなるなどのリスクがあるため,手元資金を多めに持つことになる。

 もちろん資本効率性の観点から無駄な手元資金を保有したくはないのだが,最適な手元資金額は誰も見つけることはできない。事業計画をベースにキャッシュインフローとアウトフローの予測をすることは可能だが,事業計画ほどあてにならないものはない。これを真に受けて最適な手元資金額を算出し,その額を上回る現金を余剰現金として全額株主還元に回したりすると,後に社債を発行するような羽目になりかねない。これもファイナンスの悲劇の一つだ。これを回避するためには多めに手元資金を保有するしかないが,要は経営者が規律をもっているかどうかが重要である。

 高成長企業であればいくら手元資金があっても堂々としていれば良いのだが,それ以外の企業は株主に対して下手に出ないといけない。平均的な日本企業は,当期純利益を100%内部留保すべき企業像よりは100%株主還元すべき企業像に近いはずだ。現実としては,経営者だけが高成長だと思い込んでいたり,M&Aや積極的な投資をすることで高成長企業の振りをしたりしているケースも多い。経営者と投資家の間で潜在成長性の認識にギャップがあるのだ。そのため,投資家は経営者が考えるほど会社が成長するとは思っていないという前提に立ち,潤沢な手元資金を保有することを理解してもらう必要がある。

 競合他社よりも手元資金の割合が高い場合は根拠が必要である。マイクロソフトは,少なくとも一年分の営業経費と売上原価に相当する額の手元資金は保有したいと考えており,その額が約200億ドルだということである。ビル・ゲイツスティーブ・バルマーや取締役も非常に保守的で,バランスシートが原因で何らかの意思決定が必要になるような状況は望んでいないようだ。つまり,余計な心配で時間を取られたくないということだ。

 成長が鈍化した場合には,必要な投資も減る分,株主還元をより厚くすることを約束すればよい。保有現金額の根拠が納得いくものでなくても,この約束をすれば株主は安心するはずだ。

 

 

8.株主還元の指針(成長が鈍化すれば自己株買いで株主還元)

 日本企業でもグローバルで競争する企業は海外のライバル企業の株主還元を意識しているが,収益性やROEなどで負けているケースが多いなので,「せめて株主還元だけでは負けたくない」などと無理をすると,後に減配する羽目になるだけだ。

 企業価値を創造するのは,株主還元という企業価値の分配ではなく,キャッシュフローを生み出す能力である以上,株主還元は二次的なものに過ぎない。目標を掲げて達成する類の話ではないのだ。余剰になった現金を株主に還元すれば良いだけの話である。

 経営者と投資家の間で潜在成長性の認識にギャップがあり,経営者はまだ成長できると考えがちである。かりに成長が鈍化し株価が下落しても,経営者は一時的なものと考えてしまうこともある。

 しかし,投資家が騒がしくなったら,それは成長が鈍化している兆候だと自認するべきである。そうしたケースでは,投資家からの株主還元要求が高まる。経営者は,そろそろ潮時かと認めるべきであろう。約束を果たすべき時だ。実際のところ,日本企業の多くは潮時がすでに来ていることを認めた方がいい。成長性が陰りを見せ株主還元をより厚くすべき企業が多いのは確かであるし,またより厚くできるだけの余力がある企業も多いだろう。

 ではどのように株主還元を増やすべきなのか。配当に関しては減配のリスクを回避するために,出し惜しみをして少しずつ増配すれば良い。花王は22期連続,米国のP&G社は55期連続で増配しており,無理な増配をしていればこれだけの長期間にわたり増配は不可能だったはずだ。そして増配しても余剰現金があるようであれば,バッファーとして自社株買いを行い,調整すればよい。自社株買いは配当と異なりコミットメントが高くないため,毎年の投資計画に合わせて縮小しても株価への影響は減配のように大きくない。無理に増配するよりも,リスクが小さいのだ。できれば割安で自社株買いをしたいところだが,プロの投資家でない以上それは欲張り過ぎだと思われる。自社株買いは配当よりも自由度の高い株主還元と割り切って株価を気にせず実施すれば良いだろう。

 株価が割安だと考える経営者が多いように,会社はさらに成長すると考える経営者も多い。経営者が成長戦略の名のもとに成長を目的化しM&Aなどの無駄な投資を行い,企業価値を破壊することを株主は懸念している。

※ スタートトゥデイは2012年6月に前期比5円増配となる20円の配当と,2007年の上場以来初の上限45億円の自社株買いを発表し,株価が6.7%上昇した。成長の鈍化を素直に認めて株主還元を強化したのが高く評価されたと思われる。同社は自社株買いについて「これまでも株主配分の強化を検討してきたが,株価水準が低い現在が適切と判断した」とコメントしている。



9.キャッシュフローの改善に努める

 FCF=営業利益(1-実効税率)+減価償却費-設備投資額-運転資金増加額 

 FCFを増加させるためには,営業利益を増加させ,設備投資と運転資金を減少させればよいが,営業利益を増加させることはそう簡単でない上に,実効税率の影響を受けるため,営業利益の増加がそのままFCFの増加につながることはない。もちろん営業利益は本業の収益性で決まる以上,ファイナンス戦略が役に立てることはない。一方,設備投資と運転資金は実効税率の影響を受けないため,増減がFCFにそのまま影響する。削減できればその額がそのままFCFの増加に直結する。

 将来に向けた投資を削減し続けるわけにもいかない。そこで運転資金を削減する努力をすることになる。運転資金の削減には投資が必要になるわけでもなく,社員の知恵を活かすことで可能である。今日からでもできる企業価値創造への取り組みといえよう。部門間の壁をなくすなど,お金をかけずに社員の知恵と努力で対応できるものであるため,運転資金管理はすぐにでも始めるべきである。

※ 通信系計測機器大手のアンリツは在庫削減により運転資金を削減し,キャッシュフローを大幅に拡大してきた。スマートフォン向け開発用計測器の需要増を背景に2012年3月期は当期純利益が過去最高となっている。しかし同社は2008年3月期と2009年3月期に二期連続の最終赤字を計上し,業績の立て直しを迫られ,そこで当時CFOであった橋本裕一社長は在庫の圧縮に取り組むこととなったのだ。棚卸資産回転率を指標として使いながら,在庫の効率化を進めていった。棚卸資産回転率が低下すると,棚卸資産評価損・廃却損が発生し利益を圧迫していたからだ。

 そこで,マーケティング部門と研究開発・生産部門を一本化し,需要動向を開発や生産に直接反映できるようにした。各部門の連携で生産計画が需要に即したものとなり,在庫の削減に成功したのだ。それに伴い,棚卸資産評価損・廃却損も2010年3月期以降はゼロとなっている。こうした成功の背景には,同社が資本コストを意識した経営を行っていることもある。当社グループは,企業価値の最大化を目指して連結キャッシュフローを重視した経営を展開していくとともに,資本効率を重視し,投下資本の回収率を評価するための当社独自の指標「ACE」(Anritsu Capital-cost Evaluation)を各事業部門の業績評価の指標としている。 

 ACE:税引き後営業利益-資本コスト

 この言葉通り同社は効率的な経営ができている。過去10年で売上は約20%増加したが,総資産は30%以上縮小している。しかも営業利益率が大幅に改善している。より少ない資産からより多くの利益を生み出していることになる。M&Aによって総資産は増えたが,利益は伸び悩む,というような企業とは対照的だ。またキャッシュフローの面では,過去10年で運転資金は20%以上削減され,2012年3月期を除いて設備投資は減価償却の範囲で行われている。つまり,FCFに影響するすべての要素がプラスに働いている。よって,企業価値が創造されるのが当たり前ということになる。株価は2007年と2008年は大幅に下落したが,2009年から2011年はTOPIXを大幅に上回って上昇した。これは営業利益と営業利益率のV字回復と合致している。もちろん株価回復には収益性の大幅な改善の影響もあるが,在庫を中心とした運転資金管理の成功も大きな影響を与えていると考えられる。

※ 経営指標としてのEBITDAの問題性
 EBITDAはM&Aで良く利用される指標であるが,経営指標として利用する企業もある。もちろんキャッシュフロー指標であるため,キャッシュフローの改善に役立つもので,かつ簡便性があるが,バランスシートを考慮しないので,フリーキャッシュフローと比べて欠点があることは認識しておくべきである。
 まず,運転資金が考慮されないことである。運転資金の増加はキャッシュフローにマイナスの影響を与えるため,特に在庫や売掛金は注意深くモニターする必要がある。EBITDAをキャッシュフロー指標として利用すると,運転資金がおろそかになる可能性がある。次に設備投資が考慮されていないことも欠点である。これでは効率的に設備投資を行うというインセンティブが失われてしまう。

 運転資金も設備投資もFCFに大きな影響を与える。人間は測定しないものは重視しない傾向があるので,EBITDAではなくFCFを利用することを薦める。



10.増資は熟慮の上で

 財務の健全性は良い経営を行った結果として享受すべきものであり,既存株主を犠牲にしてまで増資で健全になったところで特に褒められたものではない。借入余力があるにもかかわらず増資を実施したり,増資額を最小限に抑える努力を怠ったりする企業は理解に苦しむ。企業価値向上の手段であるはずの「財務の健全性」が自己目的化しているといわざるを得ず,本末転倒である。

 増資時に掲げた目標を実現する企業はきわめて少ないというのが投資家の判断である。これでは増資の発表後に株価が暴落するのは当然ということになる。増資を実施した理由として,将来への成長に向けた布石をあげる企業が六割を超えているが,結果を見ると,企業が無駄遣いをするために,小遣いをせびられた株主が泣くというwin-loseな関係となっている。

 本来は本当に将来への成長に向けた布石を打つ必要のある企業だけに増資をしてもらいたいところであるが,必ずしもそうは行かない。株式市場での資金調達は上場企業の特権であるため,やめさせるわけにもいかない。また,そもそも十分な金がないために何もしないでジリ貧になるよりはましではある。増資により株価は下落し,投資家としては納得がいかないだろうが,結局,増資をしないと生き残れないような会社に投資をしたのが問題だということだ。

 そうした企業の経営者には株式による資金調達はコストが高い。資本コストというコンセプトも日本でも一般的になっている。資本コストがいくらかは正確に計算することは不可能ではあるが,借入コストよりははるかに高いのは当然のことである。企業には調達した資金から高いコストに見合うリターンを出せるように最善を尽くす必要がある。しかし,このハードルはかなり高い。資金を提供した投資家からすれば,業績がいくらか改善したり,いくらか成長したりするのではまったく満足はできない。コストが高いというのは,投資家の要求水準が高いということであり,業績の大幅な改善や高い成長率を求めているのだ。期待が高い以上,株価はそう簡単には上がらない。自業自得であり,「株式市場は短期的だ」と文句を言う前に,投資家を黙らせる業績を出すべきである。

 

 例えば,日本板硝子は2010年に402億円の増資を行ったが,2013年3月期の業績予想が営業赤字であることを考えれば,株主資本コストを上回るリターンはまったく生み出せていない。これでは企業価値が破壊され,株価が暴落する。
 全日空は2012年7月に2100億円の増資を発表した。2009年に1417億円の増資以来,3年ぶりに株式市場に帰って来たことになる。発表当日に株価は13.8%下落した。また,川崎汽船は2012年7月に238億円の増資を発表した。2010年に381億円の増資をして以来,2年ぶりに株式市場に帰って来たが,発表翌日に株価は14.7%下落した。両社とも前回の増資発表前の株価と今回の増資発表前の株価の変化を見ると大幅にTOPIXを下回っており,また直近3年間のROEも株主資本コストを上回っているようには思われない。増資時に掲げた目標を実現できたとはいえないということになる。前回の増資以前からの既存株主にとっては非常に腹立たしい結果となっている。

 

※ 増資が企業価値の創造につながっていないケース(工作機械大手の森精機製作所のケース)

 森精機製作所は非常に保守的なファイナンス戦略を選択している企業であり,競合他社よりも高い自己資本比率を維持してきた(ただし,2012年3月期は競合よりも低い自己資本比率となっている)。景気変動を受けやすい業種であることを考えれば,これは正しい選択である。同社は金融危機以降業績が大幅に悪化したが,積極的な投資を継続したため,資金調達の必要性が生じ,2009年11月に168億円の増資を発表した。そして,増資のニュースを受け同社の株価は11.2%下落した。増資が本当にやむを得ないのであれば仕方がないのだが,同社の場合はどうもそうとは考えにくい。少なくとも増資額を最小限に抑える努力をしたとは考えにくい。まず,同社の期首の自己資本比率は78.3%と非常に高く,競合他社を大きく上回っていたことを考えると,十分な借入余力があったはずである。次に,自己株式も保有しており,すべてを処分すれば70億円近くにはなったと思われるが,自己株式には手を付けていない。さらに,増資を実施した期は一株当たり40円から20円の配当に減配はしたものの,総額約20億円を配当しており,翌期も22億円を配当している。増資の期の当期純利益が約350億円の赤字であったことを考えると,増資で得た資金が配当に回っているようなものであり,新たな株主が提供した資金が,単に既存株主に流れただけの話でしかない。自社株を処分し,増資を実施した期だけでも無配とするだけで,増資額の約半分は賄えたはずだ。残りの半分の額であれば,増資ではなく借入で調達したとしてもバランスシートのリスクが過度に高まることはなかったであろう。増資後の同社の業績は大幅に改善しているのだが,株価のパフォーマンスは競合他社に対して大きく水をあけられている。この増資の痛い経験による影響からか,同社は2012年3月期には300億円の社債を発行したが,それでも自己資本比率は50%を上回っている。

 

 

さいごに 

 

 日経ヴェリタスが「市場が惚れる社長 株価を上げたオーナーの流儀」という特集をしていたが,「在任中,最も株価を上げた上場企業の社長」ランキングでは,トップ10のうち9人がオーナー系企業の社長が占めていた。そして,「長期志向」,「俊敏経営」,「一意専心」が彼らの経営の共通キーワードであった。

 どれもが企業価値を長期的に創造する上での重要な要素であり,いかにそれを口だけではなく長期に亘り実行していくかが企業価値向上の鍵となる。

 

 

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