k's point of view

経営を本業とし,その現場で毎日活動しています。このブログは,旧司法試験の問題を中心に,新たに実務的視点で考えてみるブログでしたが,最近は,ビジネス関連の雑考や法律・ビジネス関連の書籍紹介の記事が多くなっています。

司法試験と商社の経験を通じて学んだこと

学校の勉強や受験やスポーツや就職で我々は絶えず競争させられています。

勝つことにどういう意義があるのか,最近また考えています。

 

 

1.競争システムと個人の喪失 

 

5年間の司法試験の経験を振り返って思うのは,よくできた競争システムで,個人の力を120%引き出させるようにできているなあということです。

 

それに我々は利用されているという側面が多々あり,のどかな受験生たちは,「試験は単なる手段であり,目的地への到達ルートは一つではないし,また目的地そのものもみな違って当たり前」ということを容易に忘れます。

 

制度・ルールという枠で均質化することで共通の評価尺度が機能し競争が生み出されるのです。

 

「自分は何をしたいのか」という目的論とそこから生まれる多様性を徹底的に捨象するところがこのシステムの個人に対するダメージを与えてしまう副作用です。

 

こう言うと自分探しとか言って批判されるかもしれませんが,内発的動機で動けるものが見つからないと,人生は苦役になってしまいます。

 

私は,もともと法曹になりたくて司法試験をやったわけではありませんでした。最後までそうでした。もっとグローバルなビジネスに,事業執行者として関わりたいという思いがあり,中堅商社というキャリアを選択し,その基準では成功しているとは思います。

 

中堅商社に入り,事業開発という法律とはあまり関係ない仕事にたどりつきましたが,結果的には,試験や修習で培った情報処理力やアウトプット力は,M&Aや事業計画立案の場面で,大きな力を発揮しています。

 

でも今から振り返ると,極論でもなんでもなく,司法試験は取り組んでよかったが受からなくてもよかったといえます。よかったのは,考え抜く経験や人生の意味を考える時間を得られたことです。ともすると,「徹底的に努力したがうまくいかなかった」方が強い人間になれてよいとすら考えることも可能です。

  

 

2.勝利至上主義

 

スポーツでもそうです。

 

勝利者だけではなく,敗者や陽の当たらないマイナースポーツの競技者が,同心円の周辺部にいらっしゃいます。オリンピックなどの日の当たる舞台に立てなかった選手もいます。

 

その辺り,テレビやその他のメディアを見ると,メダルを取った人間が非常な賞賛を浴びて,他には誰もいないかのような錯覚を覚えがちですが,個々人のレベルでは,競争それ自体が自己目的化したり,負ければ何もないかのような,勝利至上主義に流されないように気をつなければいけません。

 

 

3.失敗の自由

 

競争が極まっており個人の人生の目的論が置き去りにされている現状,社会のセーフティーネットという意味ではなく個人のアイデンティティ維持という意味で,私は「失敗する自由」が失われていると思っています。失敗をenjoyできる日本になってほしいと思います。

 

日本は過保護社会で,後見的に学校でも会社でも子供や若者に対して教えすぎるという問題があり,硬直性の罠にはまりイノベーションが起こりにくくなり,それと同時に個人の幸福感が大きく削がれています。

 

ビジネスでいうとソニーパナソニックやホンダも創業時はチャレンジャーで自由闊達にやっています。

 

失敗に慣れていないとすぐ絶望してしまいますが,実は大きな失敗をしても,本質を貫いていればいくらでも再チャレンジの機会は与えられるようになっています。流石に1億人を超える国です。海外もありますし。

 

 

4.心理学・社会学的考察

 

競争とその結果としての称賛・優越感を糧に頑張ってしまうと,おそらく成功の先に待っているのは新たな競争・称賛・優越感への渇望です。どこかでその連鎖をストップしないと,永久に幸福になることはないはずです。

 

承認欲求に関していうと,アドラー心理学では承認欲求を対人関係やモチベーションの核に据えることを否定しています。人は他者の期待を満たすために生きているのではないと喝破されています。承認欲求は煎じ詰めると利己主義なんですね。

 

それと慎重に区別する必要があるのが,共同体への帰属意識と貢献しているという感覚の重要性。他者から認められるために貢献するのではなく,仲間に良いことをしてあげたいという人間の自然的な欲求を生きがいとすることを,素直に認め,奨励しています。

 

自分にはそういう価値があるという意識と,他者は自分の仲間であるという意識が大切と説かれます。

 

そのようなマインドセットにより,人格的自律を奪回し,その上で家族や社会と調和していくことを実現していければと思います。