k's point of view

経営の現場で,サラリーマンとフリーランスの境目にいる者です。旧司法試験の問題を中心に,新たに実務的視点で考えてみるブログです。その他ビジネス関連の雑考や法律・ビジネス関連の書籍紹介もいろいろ記載していく予定です。最近は映画についての感想も縷々書いています。

輸血拒否 憲法問題解析

【事案】

 Xは,手術をすれば当面は生きながらえる中期のガンを宣告された。かねてから輸血の医学的な安全性に疑問を有していたXは,国立病院の担当医師に対して無輸血手術を申し入れ,医師がそれを了承したため手術を受けた。その結果,Xのガンはさしあたり治癒した。ところが,手術中に同医師がこっそり輸血をしたことが後に知れたため,Xは,国を相手取り,右医師の行為により患者の自己決定権が侵害されたなどとして慰謝料請求訴訟を提起した。国側はこれに対して,右輸血はXのガンが予想以上に進行していたため,医学的理由からやむを得ず行ったもので,医療において医師の医学的見地が最優先されるべきであるから,債務不履行不法行為には当たらないと主張した。両者の主張を憲法論の観点から検討せよ。

 

【考え方】

1 問題の所在

 患者の自己決定権はどのような意義を有しどの範囲で保障されるか。他人を害しない以上,本人に不利益な自己決定であっても,それに干渉することはできないのか。それとも,少なくとも生命健康にかかわる場合には後見的な介入が許されるのか。また,この事案ではエホバのような宗教的教義に基づく信念とは違うので,この点がどのように考えられるべきかも問題となる。

 

2 自己決定権

(1) 自己決定権の意義

 自己決定権とは,他者加害性を有しない純然たる私事についての選択の自由である。憲法が自律的個人を前提としている以上,憲法第13条の個人の尊厳や幸福追求権には,人が「自分のこと」を,他人とりわけ国家権力の干渉を受けることなく自分で決定することの保障(自己決定権)が当然含まれている。他者に危害を加えるわけでもないのにその行為を制約するのは,その理由が特定の生き方を強制するものであるから,道徳の押しつけとなり,善と正義を区別し,何が善かを個々人が判断し追求できる近現代の正義の観念とそれを基礎にしている現在の日本国憲法の考え方に反する。

 ただ,その裏の論理として,些末な判断ミスで個人が不合理な選択をしようとしていると明らかに認められ,結果的に人命が助かるような場合にまでそのようないわば不合理な,錯誤に基づく「生の自己決定」を認める必要まではない。個人の判断能力の限界を認め,それを後見的に保護することは憲法や法律の世界はいくらでも見られる(放棄ができない奴隷の自由などの絶対的権利(憲法第18条など)や刑法上の錯誤に基づく同意の無効など)。

 ここで,自己決定権の内容を規定する「自分のこと」とは何かが問題となる。他人の人権行使や個人の尊厳や生命健康に対して害悪を及ぼさない事項が「自分のこと」である。逆に,人権の内在的制約の対象となるような他者とのかかわりを有する行為は自己決定権の対象とはならない。

  • 典型として,冬山登山などの「危険行為の自由」,同性愛などの「ライフスタイルの自由」,産む・産まないといった「リプロダクションに関する自己決定」,安楽死尊厳死といった「死の自己決定」。これらが典型として挙げられる理由は,他人の干渉を招きやすく,他者加害性がないにもかかわらずこれまで規制の対象とされやすかったという点にある。
  • 一例として,大麻使用の自由について考えてみたいが,大麻はその中毒性及び脳の委縮等による判断能力の低下により自己決定権の想定する「自律的な個人」を掘り崩すという理由で大麻使用の自由は制約されうるものと思われる。また,他者加害性を肯定することもできると思われる。しかし,国際的な一部の潮流を見ると,その中毒性などの科学的根拠については再検討が必要かもしれない。

(2) 自己決定権の限界 

 患者の治療拒否に対する自己決定権を認めると,放置すれば死に至る病の場合には自殺そのものの自己決定権を認めることにつながるという懸念もあるが,治療拒否の結果としての死は病気がもたらすものであって,患者は治療拒否によって残りの生をどう生きるかという「生の自己決定」を行うとみるべき場合がある。

 本件事案の輸血拒否は,あくまでも治療効果に着目した決定であるところ,科学的に正しい行為を医師として行った結果,患者の健康が回復し,それにより当初患者が目的としていた治療効果が達成されている。あくまでも手段としての輸血を拒否していただけであり,輸血拒否がその人生の目的や特定の生き方の表れというわけではないので,この決定は自己決定権の範囲外というか自己決定権の内在的制約というかはロジック的にどちらもありうるが,いずれにせよ自己決定権の侵害とは言えず,違憲違法とはいえない。

 

3 患者の自己決定権

 憲法が予定する個人像は,自律的な個人であり,自分の責任で自分の人生を自由に設計し,その結果得られた成果を自らの決定の結果として引き受ける個人である。客観的には不利益・不合理なことであっても,当人が十分に情報公開を受けた上で自らの価値観に基づいて選択するのであればその選択が最終的なものである。この意味で,自己決定権の行使については,それが純然たる私事に関するものである限り,他人からの干渉や法的規制は許されない。

 しかし,特定の目的の下,明らかに不十分な情報に基づいて明らかに不合理な判断をする場合については,錯誤が認められ,当人の目的が結果的に公権力のサポートによって達成される場合に限っては,結局自律的自己決定をサポートしているといえ,自己決定権の制約も可能になると思われる(これもある種の内在的制約と言いうる)。

  •  なお,この「生の自己決定権」は「自殺の権利」とは一線を画する。自殺は個人の尊厳に規定にある人間の尊厳(前者は自己決定を許すが,後者は自己決定を超えた客観的な価値である)の理念に反するため,自殺の権利を自己決定権に含めることは異論がありうる(保護範囲の問題)。最高裁が自殺の自由を正面から認めることは考えられない。ここで問題となる尊厳死などのいわゆる「死の自己決定」は,実は残りの生をいかに生きるかという「生の自己決定」の一部である。この意味で自殺の権利とは区別可能であると考える。まして危険行為の場合には,未踏峰を目指す山岳家の例を見れば明らかなように,いかに生きるかという「生の自己決定」に他ならず,これも自殺の権利とは区別される。

 

4 (補足)宗教的信念に基づく患者の自己決定権の限界

エホバの証人輸血拒否事件

一審東京地裁:人の生命は至上の価値を有し,医師は可能な限りの救命を果たす義務を有するとして,宗教上の理由で輸血を拒否した患者の訴えに対し,無輸血手術の特約は公序良俗違反で無効であり(民法第90条),医師は一般的には患者に治療内容について説明義務を負うものの,患者が頑なに輸血を拒む場合には,輸血がありうることを説明しなくても違法ではない,とした。(嘘も方便というような考え方。)

二審東京高裁:患者の輸血拒否が他人の権利や公共の利益を損なうものでない以上,無輸血手術の特約は有効であり,また,人生において何に価値を置くかについての本人の自己決定(ライフスタイルの自由)が認められるべきであり,人はすべからく死ぬものであるから輸血拒否行為は自殺と異なり,残りの生をどう生きるかという生の自己決定として自己決定権に含まれる。輸血は自己決定権侵害の不法行為となる。

上告審最高裁:宗教上の信念という明確な意思に基づいて輸血拒否をするという意思決定をする権利は,人格権の一内容として尊重されなければならないと述べ,「人格権」という構成によって患者の治療拒否権を肯定した。

  • なお,いずれも宗教的行為の自由に対する侵害の有無には言及されていない。

 私見では,宗教的信念に基づく患者の自己決定は,いかにそれが科学的に説明のつかないものでも,他者加害性がない限り絶対的に保護される。これは不合理や錯誤などをいえるものではなく,単純にその人にとってそれが真の幸福をもたらす真理であるからである。これを治療的観点や生の押しつけにより否定することは,特定の生き方を多数派の道徳観から否定するものであり,個人の人格の根源的平等・自律を否定するものであり,違憲違法である。

  • なお,本件事案ではそういうものではなく,この宗教を基礎にした立論は当てはまらない。あくまでも治療効果を上げたいという目的での輸血拒否であり,結果的に輸血により健康が回復したため,目的としては達成されており,この自己決定権の制約はその内在的限界に直面していたことが証明されており,正当化される。