k's point of view

経営を本業とし,その現場で毎日活動しています。このブログは,旧司法試験の問題を中心に,新たに実務的視点で考えてみるブログでしたが,最近は,ビジネス関連の雑考や法律・ビジネス関連の書籍紹介の記事が多くなっています。

Startupと失敗する自由

《Startup Weekend Tokyo》

 

3日間でスタートアップの体験をするというイベントに参加してきた。今回はスポーツがテーマ。

 

最終日の昨日は8チームのビジネスアイデアを発表・審査で,私もコーチとして参加。

 

優勝はゴルフ場へのファミリー送客モデル。

 

8チームあったが,この中からいくつかはこのイベントにとどまらず実際に活動していってくれるといいなと思う。1つ目のアイデアでうまくいくことは少ないので転んでもただでは起きない精神でしぶとく行って欲しい。ゲームに参加し続けることに意味がある。

 

私は「失敗する自由」が大切だと思っている。失敗をenjoyできる日本になってほしい。

 

日本は過保護社会で,後見的に学校でも会社でも子供や若者に対して教えすぎるという問題があり,硬直性の罠にはまりイノベーションが起こりにくくなっていると私はみているし,それ以前に個人の幸福感が大きく削がれている。

 

ビジネスでいうとソニーパナソニックやホンダも創業時はチャレンジャーで自由闊達にやっていた。

 

今回いろいろinspireされ,個人的にも得るものが多く,また参加していきたい。

 

全国的に定期的に開催されています。

東京では2017 4/14-16,テーマはロボット
http://tokyo.startupweekend.org

アメリカ大統領選 トランプに関しての雑感

http://www.dispatch.com/content/stories/local/2016/11/13/j-d--vance-says-trump-presented-change-voters-wanted.htmlwww.theguardian.com

 

最近ニュースになっているしみなさん注目してたくさんのコメントが出ているので,自分が書いても何の意味もないかもしれないが…

 

1年くらい今回の代表選を見てきていて非常にトランプ当選については驚いた。

 

ただ,共和党の候補選の時から注目はしていた。

 

まだ彼を評価するには早いと思う。良い政治をする可能性もあると思う。

 

オバマの時は初の黒人大統領, "Change", "Yes, we can."ということで結構期待していたがやはりエリート層の空論で空回りの感あり。(ノーベル平和賞も受賞したのに…)

 

今回のトランプ躍進は,後知恵的であるが,Counter "Obama=Harverd" Cultureが相当数あると思う。演説だけはうまく実際は評論家的・偽善者的なオバマがいたからこそ今回のトランプ大統領出現につながったと思う。

 

思えば8年前はマイケル・サンデルも出てきて結構ハーバードカルチャーや正義論がもてはやされた。ただ,哲学では到底事実認識の問題には対応できず,白人 対 黒人というような表層的な話で思考実験を繰り広げる。

 

今回はRedneck=Hillbillyがその存在を現し,ハーバードのエリートたちの哲学では対処できない領域に達したと思うし,結局エリートであるオバマやハーバードカルチャーの鼻持ちならないところに庶民が辟易していたことを表していたと思う。

 

“You don’t have to agree with him. He was going against the mainstream consensus,” Vance said of Trump. “People were looking to shake up the system.”

 

レッドネック - Wikipedia

 

www.dispatch.com

 

 

 

 

 

 

瑕疵担保と債務不履行 民法問題解析

【問題】

セールスマンAは,自動車販売業者Bから中古自動車を,代金90万円の全額を払って購入した。ところが2か月目のはじめに調子が悪くなり,修理工場で見てもらったところ,エンジンに欠陥があり,このままでは50万円くらいの価値しかなく,修理には30万円ほどかかるといわれた。Aは,Bが何もしてくれないので,3か月目以降はレンタカーを借りて仕事をしている。この間,2,3か月目の収益は以前の平均と比べて20万円ほど少なかった。AはBにどのような請求ができるか。

 

【問題の所在】

 買主Aの請求として,①完全な履行を請求する(別の中古車の引渡し,あるいは,当該中古車の修理),②損害の賠償を請求する,③契約を解除する,の3つが考えられる。このうち民法典は,債務不履行責任では①②③全てを規定し(民法第414条,第415条,第540条以下),瑕疵担保責任では②③を規定している(民法第570条・第566条)。

 ところで,Aが,損害賠償請求はあきらめて,払った代金90万円の取戻しを考える場合は,③の契約解除をすることになる。民法第541条と第566条で要件はやや異なるが,本問の場合はいずれによっても解除は認められる。

 問題は,代金の取戻しでは満足せず,①や②の手段を望むときである。というのは,瑕疵担保責任でも①の完全履行を請求できるのか,また,債務不履行責任と瑕疵担保責任とで②の損害賠償の内容が違うのではないか,が問題となるからである。

 

【解説】

1 伝統的な学説(Ⅰ)と近時の学説(Ⅱ)の整理

 第1に,Ⅱは特定物売買の合意は瑕疵のない物の売買だと解するのに対し,Ⅰはそのような契約は成立していないと考える。第2に,Ⅰは債務不履行責任は有効な契約に基づくが,瑕疵担保責任は有効な契約がない部分に法律が特別に認めた責任だ(だから完全履行を請求できず,賠償は信頼利益に限られる)と考えるのに対し,Ⅱは,いずれも有効な契約に基づくが,ただ瑕疵担保責任は売主の過失を要件とせず,代わりに賠償責任が信頼利益に限られ,1年の期間制限に服すると考える。以上の違いから,第3に,特定物売買の場合に,Ⅰでは瑕疵担保責任のみが適用されるのに対し,Ⅱでは両責任が並存しえ,売主に過失があるときは,買主はどちらか有利な方を追及することができ,売主に過失がないときには瑕疵担保責任のみを追及できるとする。

 

2 完全履行請求の可否

 契約締結の際に「その物」と特定しただけで完全履行請求を否定するのは妥当でない。一般に特定物売買でも,目的物には代替性があったり,修補が可能であったりすることが多い。

 

3 損害賠償の要件・内容

 信頼利益とは,目的物に瑕疵がないと信じて契約を結んだために受けた損害である。本問でいえば,Aが購入のためにかけた費用(契約費用,名義書換費用など),払った代金額(90万円)から瑕疵ある物の実際の価値(50万円)を引いた額(40万円)だけである。

 修理した場合の修理費用,レンタカーの賃料,収入の減少分は,履行利益となる。

 信頼利益賠償は,買主が瑕疵を知っていて契約を結ばなかったら現在あるであろう状態を実現するためのものである。他方,履行利益賠償は,欠陥のない目的物が給付されたと同じ状態を債権者に与えるものである。

 売主に過失がある場合にまで信頼利益に賠償を制限するのは不合理である。我妻栄はこの点を意識し契約締結上の過失の理論で履行利益賠償を認めたが,そもそも特定物ドグマを肯定することが必然でもなく単なる一学説にすぎず,過失がある場合には不完全履行に関する民法第415条の適用を認めるという解釈も十分可能である。

二重譲渡・受領遅滞・危険負担 民法問題解析

【問題】

 Bは6月1日に骨董商Aが陳列していた300万円の青磁の壺を見て,買うことにし,Aにその旨を述べて,明日現金を持ってくるから取っておくように依頼した。その後,Aは外出したが,その際に店番を頼んだ店員Dにうっかり青磁の壺が売れたことを伝えなかったところ,Dは,来店したCが青磁の壺を買いたいと申し出たのに承諾を与え,Cが明日現金を持ってくるまで壺を取っておくと約束してしまった。外出から戻ったAは,Dからその旨を聞いて困ったことになったと思ったが,壺は売却済みとして保管することにした。

 ところで,BもCも6月2日には来店せず,6月3日となったが,この日にあった大地震のためにケースが倒れ,「青磁の壺」は壊れてしまった。そしてその直後に来店したBとCは,壊れたつぼを見て,代金支払を拒絶した。

 ABCの法律関係を検討せよ。

 

【問題の所在】

 青磁の壺が破壊された原因は売主と買主の双方にとって責任のない大地震である。それゆえ,青磁の壺の破壊にもかかわらず,買主がなお代金の支払の義務を負担するかという危険負担が問題となる。

 

【解説】

1 特定物売買と危険負担

 Aは青磁の壺をまずBに売却する契約を締結したが,この売買契約は骨董たる青磁の壺を対象としているために,特定物売買であるといえる。その給付すべき特定物は大地震という契約両当事者に責任のない原因で契約成立後に滅失したのであるから,目的物の給付は不能となるものの,青磁の壺を引き渡す債務を負う売主Aは,給付不能について債務不履行責任を負わない(給付危険の問題,民法第415条反対解釈)。ここに至り,反対給付である代金債務の帰趨が問題となる(対価危険の問題)。

 特定物売買における危険負担については債権者主義が適用される(民法第534条第1項)。物の引渡しがなくても代金を支払わねばならないという債権者主義は妥当性を欠く。そのため同条項の縮小解釈が試みられる。(ここではその細かい議論は省略)

 

2 二重売買と危険負担

 設問では,店員Dも青磁の壺を買いたいとのCの申出に承諾を与えた。店員Dは店にある商品の販売に関する権限を有するゆえに(商法第26条),このCD間の売買の効果はAに帰属する。その結果二重売買が生ずる。

 特定物を二重売買した場合の危険負担については,債務者主義(民法第536条第1項)を採る解釈が妥当。債権者主義を制限しようとする傾向が強い上に,さらに二重売買では債権者主義を採ると対価を二重に受け取れることになるからである。

 Aが二重売買をした段階での危険負担は債権者主義であり,AはBCに対する代金債権を失う。

 

3 受領遅滞と危険負担

 設問においては,取立債務にもかかわらず,BCともに期日に壺を受け取りに来なかった。受領拒絶であり,受領遅滞である(民法第413条)。受領遅滞の効果として,対価危険の負担は,債権者に移転する(債権者主義,民法第536条第2項)。つまり,受領遅滞後の青磁の壺の破壊は,代金債務を消滅させない。(やや違和感があるが,民法の規定上そのように解さざるを得ない。)

 本問では,二重売買との関連で,さらにこの処理を貫徹してよいかが問題となる。結論としては,Aはいずれにも代金を請求できるとし,不真正連帯として処理するほかないように思われる。その上で,BCは求償関係に立つと解される。

輸血拒否 憲法問題解析

【事案】

 Xは,手術をすれば当面は生きながらえる中期のガンを宣告された。かねてから輸血の医学的な安全性に疑問を有していたXは,国立病院の担当医師に対して無輸血手術を申し入れ,医師がそれを了承したため手術を受けた。その結果,Xのガンはさしあたり治癒した。ところが,手術中に同医師がこっそり輸血をしたことが後に知れたため,Xは,国を相手取り,右医師の行為により患者の自己決定権が侵害されたなどとして慰謝料請求訴訟を提起した。国側はこれに対して,右輸血はXのガンが予想以上に進行していたため,医学的理由からやむを得ず行ったもので,医療において医師の医学的見地が最優先されるべきであるから,債務不履行不法行為には当たらないと主張した。両者の主張を憲法論の観点から検討せよ。

 

【考え方】

1 問題の所在

 患者の自己決定権はどのような意義を有しどの範囲で保障されるか。他人を害しない以上,本人に不利益な自己決定であっても,それに干渉することはできないのか。それとも,少なくとも生命健康にかかわる場合には後見的な介入が許されるのか。また,この事案ではエホバのような宗教的教義に基づく信念とは違うので,この点がどのように考えられるべきかも問題となる。

 

2 自己決定権

(1) 自己決定権の意義

 自己決定権とは,他者加害性を有しない純然たる私事についての選択の自由である。憲法が自律的個人を前提としている以上,憲法第13条の個人の尊厳や幸福追求権には,人が「自分のこと」を,他人とりわけ国家権力の干渉を受けることなく自分で決定することの保障(自己決定権)が当然含まれている。他者に危害を加えるわけでもないのにその行為を制約するのは,その理由が特定の生き方を強制するものであるから,道徳の押しつけとなり,善と正義を区別し,何が善かを個々人が判断し追求できる近現代の正義の観念とそれを基礎にしている現在の日本国憲法の考え方に反する。

 ただ,その裏の論理として,些末な判断ミスで個人が不合理な選択をしようとしていると明らかに認められ,結果的に人命が助かるような場合にまでそのようないわば不合理な,錯誤に基づく「生の自己決定」を認める必要まではない。個人の判断能力の限界を認め,それを後見的に保護することは憲法や法律の世界はいくらでも見られる(放棄ができない奴隷の自由などの絶対的権利(憲法第18条など)や刑法上の錯誤に基づく同意の無効など)。

 ここで,自己決定権の内容を規定する「自分のこと」とは何かが問題となる。他人の人権行使や個人の尊厳や生命健康に対して害悪を及ぼさない事項が「自分のこと」である。逆に,人権の内在的制約の対象となるような他者とのかかわりを有する行為は自己決定権の対象とはならない。

  • 典型として,冬山登山などの「危険行為の自由」,同性愛などの「ライフスタイルの自由」,産む・産まないといった「リプロダクションに関する自己決定」,安楽死尊厳死といった「死の自己決定」。これらが典型として挙げられる理由は,他人の干渉を招きやすく,他者加害性がないにもかかわらずこれまで規制の対象とされやすかったという点にある。
  • 一例として,大麻使用の自由について考えてみたいが,大麻はその中毒性及び脳の委縮等による判断能力の低下により自己決定権の想定する「自律的な個人」を掘り崩すという理由で大麻使用の自由は制約されうるものと思われる。また,他者加害性を肯定することもできると思われる。しかし,国際的な一部の潮流を見ると,その中毒性などの科学的根拠については再検討が必要かもしれない。

(2) 自己決定権の限界 

 患者の治療拒否に対する自己決定権を認めると,放置すれば死に至る病の場合には自殺そのものの自己決定権を認めることにつながるという懸念もあるが,治療拒否の結果としての死は病気がもたらすものであって,患者は治療拒否によって残りの生をどう生きるかという「生の自己決定」を行うとみるべき場合がある。

 本件事案の輸血拒否は,あくまでも治療効果に着目した決定であるところ,科学的に正しい行為を医師として行った結果,患者の健康が回復し,それにより当初患者が目的としていた治療効果が達成されている。あくまでも手段としての輸血を拒否していただけであり,輸血拒否がその人生の目的や特定の生き方の表れというわけではないので,この決定は自己決定権の範囲外というか自己決定権の内在的制約というかはロジック的にどちらもありうるが,いずれにせよ自己決定権の侵害とは言えず,違憲違法とはいえない。

 

3 患者の自己決定権

 憲法が予定する個人像は,自律的な個人であり,自分の責任で自分の人生を自由に設計し,その結果得られた成果を自らの決定の結果として引き受ける個人である。客観的には不利益・不合理なことであっても,当人が十分に情報公開を受けた上で自らの価値観に基づいて選択するのであればその選択が最終的なものである。この意味で,自己決定権の行使については,それが純然たる私事に関するものである限り,他人からの干渉や法的規制は許されない。

 しかし,特定の目的の下,明らかに不十分な情報に基づいて明らかに不合理な判断をする場合については,錯誤が認められ,当人の目的が結果的に公権力のサポートによって達成される場合に限っては,結局自律的自己決定をサポートしているといえ,自己決定権の制約も可能になると思われる(これもある種の内在的制約と言いうる)。

  •  なお,この「生の自己決定権」は「自殺の権利」とは一線を画する。自殺は個人の尊厳に規定にある人間の尊厳(前者は自己決定を許すが,後者は自己決定を超えた客観的な価値である)の理念に反するため,自殺の権利を自己決定権に含めることは異論がありうる(保護範囲の問題)。最高裁が自殺の自由を正面から認めることは考えられない。ここで問題となる尊厳死などのいわゆる「死の自己決定」は,実は残りの生をいかに生きるかという「生の自己決定」の一部である。この意味で自殺の権利とは区別可能であると考える。まして危険行為の場合には,未踏峰を目指す山岳家の例を見れば明らかなように,いかに生きるかという「生の自己決定」に他ならず,これも自殺の権利とは区別される。

 

4 (補足)宗教的信念に基づく患者の自己決定権の限界

エホバの証人輸血拒否事件

一審東京地裁:人の生命は至上の価値を有し,医師は可能な限りの救命を果たす義務を有するとして,宗教上の理由で輸血を拒否した患者の訴えに対し,無輸血手術の特約は公序良俗違反で無効であり(民法第90条),医師は一般的には患者に治療内容について説明義務を負うものの,患者が頑なに輸血を拒む場合には,輸血がありうることを説明しなくても違法ではない,とした。(嘘も方便というような考え方。)

二審東京高裁:患者の輸血拒否が他人の権利や公共の利益を損なうものでない以上,無輸血手術の特約は有効であり,また,人生において何に価値を置くかについての本人の自己決定(ライフスタイルの自由)が認められるべきであり,人はすべからく死ぬものであるから輸血拒否行為は自殺と異なり,残りの生をどう生きるかという生の自己決定として自己決定権に含まれる。輸血は自己決定権侵害の不法行為となる。

上告審最高裁:宗教上の信念という明確な意思に基づいて輸血拒否をするという意思決定をする権利は,人格権の一内容として尊重されなければならないと述べ,「人格権」という構成によって患者の治療拒否権を肯定した。

  • なお,いずれも宗教的行為の自由に対する侵害の有無には言及されていない。

 私見では,宗教的信念に基づく患者の自己決定は,いかにそれが科学的に説明のつかないものでも,他者加害性がない限り絶対的に保護される。これは不合理や錯誤などをいえるものではなく,単純にその人にとってそれが真の幸福をもたらす真理であるからである。これを治療的観点や生の押しつけにより否定することは,特定の生き方を多数派の道徳観から否定するものであり,個人の人格の根源的平等・自律を否定するものであり,違憲違法である。

  • なお,本件事案ではそういうものではなく,この宗教を基礎にした立論は当てはまらない。あくまでも治療効果を上げたいという目的での輸血拒否であり,結果的に輸血により健康が回復したため,目的としては達成されており,この自己決定権の制約はその内在的限界に直面していたことが証明されており,正当化される。