k's point of view

経営を本業とし,その現場で毎日活動しています。このブログは,旧司法試験の問題を中心に,新たに実務的視点で考えてみるブログでしたが,最近は,ビジネス関連の雑考や法律・ビジネス関連の書籍紹介の記事が多くなっています。

アメリカ大統領選 トランプに関しての雑感

http://www.dispatch.com/content/stories/local/2016/11/13/j-d--vance-says-trump-presented-change-voters-wanted.htmlwww.theguardian.com

 

最近ニュースになっているしみなさん注目してたくさんのコメントが出ているので,自分が書いても何の意味もないかもしれないが…

 

1年くらい今回の代表選を見てきていて非常にトランプ当選については驚いた。

 

ただ,共和党の候補選の時から注目はしていた。

 

まだ彼を評価するには早いと思う。良い政治をする可能性もあると思う。

 

オバマの時は初の黒人大統領, "Change", "Yes, we can."ということで結構期待していたがやはりエリート層の空論で空回りの感あり。(ノーベル平和賞も受賞したのに…)

 

今回のトランプ躍進は,後知恵的であるが,Counter "Obama=Harverd" Cultureが相当数あると思う。演説だけはうまく実際は評論家的・偽善者的なオバマがいたからこそ今回のトランプ大統領出現につながったと思う。

 

思えば8年前はマイケル・サンデルも出てきて結構ハーバードカルチャーや正義論がもてはやされた。ただ,哲学では到底事実認識の問題には対応できず,白人 対 黒人というような表層的な話で思考実験を繰り広げる。

 

今回はRedneck=Hillbillyがその存在を現し,ハーバードのエリートたちの哲学では対処できない領域に達したと思うし,結局エリートであるオバマやハーバードカルチャーの鼻持ちならないところに庶民が辟易していたことを表していたと思う。

 

“You don’t have to agree with him. He was going against the mainstream consensus,” Vance said of Trump. “People were looking to shake up the system.”

 

レッドネック - Wikipedia

 

www.dispatch.com

 

 

 

 

 

 

瑕疵担保と債務不履行 民法問題解析

【問題】

セールスマンAは,自動車販売業者Bから中古自動車を,代金90万円の全額を払って購入した。ところが2か月目のはじめに調子が悪くなり,修理工場で見てもらったところ,エンジンに欠陥があり,このままでは50万円くらいの価値しかなく,修理には30万円ほどかかるといわれた。Aは,Bが何もしてくれないので,3か月目以降はレンタカーを借りて仕事をしている。この間,2,3か月目の収益は以前の平均と比べて20万円ほど少なかった。AはBにどのような請求ができるか。

 

【問題の所在】

 買主Aの請求として,①完全な履行を請求する(別の中古車の引渡し,あるいは,当該中古車の修理),②損害の賠償を請求する,③契約を解除する,の3つが考えられる。このうち民法典は,債務不履行責任では①②③全てを規定し(民法第414条,第415条,第540条以下),瑕疵担保責任では②③を規定している(民法第570条・第566条)。

 ところで,Aが,損害賠償請求はあきらめて,払った代金90万円の取戻しを考える場合は,③の契約解除をすることになる。民法第541条と第566条で要件はやや異なるが,本問の場合はいずれによっても解除は認められる。

 問題は,代金の取戻しでは満足せず,①や②の手段を望むときである。というのは,瑕疵担保責任でも①の完全履行を請求できるのか,また,債務不履行責任と瑕疵担保責任とで②の損害賠償の内容が違うのではないか,が問題となるからである。

 

【解説】

1 伝統的な学説(Ⅰ)と近時の学説(Ⅱ)の整理

 第1に,Ⅱは特定物売買の合意は瑕疵のない物の売買だと解するのに対し,Ⅰはそのような契約は成立していないと考える。第2に,Ⅰは債務不履行責任は有効な契約に基づくが,瑕疵担保責任は有効な契約がない部分に法律が特別に認めた責任だ(だから完全履行を請求できず,賠償は信頼利益に限られる)と考えるのに対し,Ⅱは,いずれも有効な契約に基づくが,ただ瑕疵担保責任は売主の過失を要件とせず,代わりに賠償責任が信頼利益に限られ,1年の期間制限に服すると考える。以上の違いから,第3に,特定物売買の場合に,Ⅰでは瑕疵担保責任のみが適用されるのに対し,Ⅱでは両責任が並存しえ,売主に過失があるときは,買主はどちらか有利な方を追及することができ,売主に過失がないときには瑕疵担保責任のみを追及できるとする。

 

2 完全履行請求の可否

 契約締結の際に「その物」と特定しただけで完全履行請求を否定するのは妥当でない。一般に特定物売買でも,目的物には代替性があったり,修補が可能であったりすることが多い。

 

3 損害賠償の要件・内容

 信頼利益とは,目的物に瑕疵がないと信じて契約を結んだために受けた損害である。本問でいえば,Aが購入のためにかけた費用(契約費用,名義書換費用など),払った代金額(90万円)から瑕疵ある物の実際の価値(50万円)を引いた額(40万円)だけである。

 修理した場合の修理費用,レンタカーの賃料,収入の減少分は,履行利益となる。

 信頼利益賠償は,買主が瑕疵を知っていて契約を結ばなかったら現在あるであろう状態を実現するためのものである。他方,履行利益賠償は,欠陥のない目的物が給付されたと同じ状態を債権者に与えるものである。

 売主に過失がある場合にまで信頼利益に賠償を制限するのは不合理である。我妻栄はこの点を意識し契約締結上の過失の理論で履行利益賠償を認めたが,そもそも特定物ドグマを肯定することが必然でもなく単なる一学説にすぎず,過失がある場合には不完全履行に関する民法第415条の適用を認めるという解釈も十分可能である。

二重譲渡・受領遅滞・危険負担 民法問題解析

【問題】

 Bは6月1日に骨董商Aが陳列していた300万円の青磁の壺を見て,買うことにし,Aにその旨を述べて,明日現金を持ってくるから取っておくように依頼した。その後,Aは外出したが,その際に店番を頼んだ店員Dにうっかり青磁の壺が売れたことを伝えなかったところ,Dは,来店したCが青磁の壺を買いたいと申し出たのに承諾を与え,Cが明日現金を持ってくるまで壺を取っておくと約束してしまった。外出から戻ったAは,Dからその旨を聞いて困ったことになったと思ったが,壺は売却済みとして保管することにした。

 ところで,BもCも6月2日には来店せず,6月3日となったが,この日にあった大地震のためにケースが倒れ,「青磁の壺」は壊れてしまった。そしてその直後に来店したBとCは,壊れたつぼを見て,代金支払を拒絶した。

 ABCの法律関係を検討せよ。

 

【問題の所在】

 青磁の壺が破壊された原因は売主と買主の双方にとって責任のない大地震である。それゆえ,青磁の壺の破壊にもかかわらず,買主がなお代金の支払の義務を負担するかという危険負担が問題となる。

 

【解説】

1 特定物売買と危険負担

 Aは青磁の壺をまずBに売却する契約を締結したが,この売買契約は骨董たる青磁の壺を対象としているために,特定物売買であるといえる。その給付すべき特定物は大地震という契約両当事者に責任のない原因で契約成立後に滅失したのであるから,目的物の給付は不能となるものの,青磁の壺を引き渡す債務を負う売主Aは,給付不能について債務不履行責任を負わない(給付危険の問題,民法第415条反対解釈)。ここに至り,反対給付である代金債務の帰趨が問題となる(対価危険の問題)。

 特定物売買における危険負担については債権者主義が適用される(民法第534条第1項)。物の引渡しがなくても代金を支払わねばならないという債権者主義は妥当性を欠く。そのため同条項の縮小解釈が試みられる。(ここではその細かい議論は省略)

 

2 二重売買と危険負担

 設問では,店員Dも青磁の壺を買いたいとのCの申出に承諾を与えた。店員Dは店にある商品の販売に関する権限を有するゆえに(商法第26条),このCD間の売買の効果はAに帰属する。その結果二重売買が生ずる。

 特定物を二重売買した場合の危険負担については,債務者主義(民法第536条第1項)を採る解釈が妥当。債権者主義を制限しようとする傾向が強い上に,さらに二重売買では債権者主義を採ると対価を二重に受け取れることになるからである。

 Aが二重売買をした段階での危険負担は債権者主義であり,AはBCに対する代金債権を失う。

 

3 受領遅滞と危険負担

 設問においては,取立債務にもかかわらず,BCともに期日に壺を受け取りに来なかった。受領拒絶であり,受領遅滞である(民法第413条)。受領遅滞の効果として,対価危険の負担は,債権者に移転する(債権者主義,民法第536条第2項)。つまり,受領遅滞後の青磁の壺の破壊は,代金債務を消滅させない。(やや違和感があるが,民法の規定上そのように解さざるを得ない。)

 本問では,二重売買との関連で,さらにこの処理を貫徹してよいかが問題となる。結論としては,Aはいずれにも代金を請求できるとし,不真正連帯として処理するほかないように思われる。その上で,BCは求償関係に立つと解される。

輸血拒否 憲法問題解析

【事案】

 Xは,手術をすれば当面は生きながらえる中期のガンを宣告された。かねてから輸血の医学的な安全性に疑問を有していたXは,国立病院の担当医師に対して無輸血手術を申し入れ,医師がそれを了承したため手術を受けた。その結果,Xのガンはさしあたり治癒した。ところが,手術中に同医師がこっそり輸血をしたことが後に知れたため,Xは,国を相手取り,右医師の行為により患者の自己決定権が侵害されたなどとして慰謝料請求訴訟を提起した。国側はこれに対して,右輸血はXのガンが予想以上に進行していたため,医学的理由からやむを得ず行ったもので,医療において医師の医学的見地が最優先されるべきであるから,債務不履行不法行為には当たらないと主張した。両者の主張を憲法論の観点から検討せよ。

 

【考え方】

1 問題の所在

 患者の自己決定権はどのような意義を有しどの範囲で保障されるか。他人を害しない以上,本人に不利益な自己決定であっても,それに干渉することはできないのか。それとも,少なくとも生命健康にかかわる場合には後見的な介入が許されるのか。また,この事案ではエホバのような宗教的教義に基づく信念とは違うので,この点がどのように考えられるべきかも問題となる。

 

2 自己決定権

(1) 自己決定権の意義

 自己決定権とは,他者加害性を有しない純然たる私事についての選択の自由である。憲法が自律的個人を前提としている以上,憲法第13条の個人の尊厳や幸福追求権には,人が「自分のこと」を,他人とりわけ国家権力の干渉を受けることなく自分で決定することの保障(自己決定権)が当然含まれている。他者に危害を加えるわけでもないのにその行為を制約するのは,その理由が特定の生き方を強制するものであるから,道徳の押しつけとなり,善と正義を区別し,何が善かを個々人が判断し追求できる近現代の正義の観念とそれを基礎にしている現在の日本国憲法の考え方に反する。

 ただ,その裏の論理として,些末な判断ミスで個人が不合理な選択をしようとしていると明らかに認められ,結果的に人命が助かるような場合にまでそのようないわば不合理な,錯誤に基づく「生の自己決定」を認める必要まではない。個人の判断能力の限界を認め,それを後見的に保護することは憲法や法律の世界はいくらでも見られる(放棄ができない奴隷の自由などの絶対的権利(憲法第18条など)や刑法上の錯誤に基づく同意の無効など)。

 ここで,自己決定権の内容を規定する「自分のこと」とは何かが問題となる。他人の人権行使や個人の尊厳や生命健康に対して害悪を及ぼさない事項が「自分のこと」である。逆に,人権の内在的制約の対象となるような他者とのかかわりを有する行為は自己決定権の対象とはならない。

  • 典型として,冬山登山などの「危険行為の自由」,同性愛などの「ライフスタイルの自由」,産む・産まないといった「リプロダクションに関する自己決定」,安楽死尊厳死といった「死の自己決定」。これらが典型として挙げられる理由は,他人の干渉を招きやすく,他者加害性がないにもかかわらずこれまで規制の対象とされやすかったという点にある。
  • 一例として,大麻使用の自由について考えてみたいが,大麻はその中毒性及び脳の委縮等による判断能力の低下により自己決定権の想定する「自律的な個人」を掘り崩すという理由で大麻使用の自由は制約されうるものと思われる。また,他者加害性を肯定することもできると思われる。しかし,国際的な一部の潮流を見ると,その中毒性などの科学的根拠については再検討が必要かもしれない。

(2) 自己決定権の限界 

 患者の治療拒否に対する自己決定権を認めると,放置すれば死に至る病の場合には自殺そのものの自己決定権を認めることにつながるという懸念もあるが,治療拒否の結果としての死は病気がもたらすものであって,患者は治療拒否によって残りの生をどう生きるかという「生の自己決定」を行うとみるべき場合がある。

 本件事案の輸血拒否は,あくまでも治療効果に着目した決定であるところ,科学的に正しい行為を医師として行った結果,患者の健康が回復し,それにより当初患者が目的としていた治療効果が達成されている。あくまでも手段としての輸血を拒否していただけであり,輸血拒否がその人生の目的や特定の生き方の表れというわけではないので,この決定は自己決定権の範囲外というか自己決定権の内在的制約というかはロジック的にどちらもありうるが,いずれにせよ自己決定権の侵害とは言えず,違憲違法とはいえない。

 

3 患者の自己決定権

 憲法が予定する個人像は,自律的な個人であり,自分の責任で自分の人生を自由に設計し,その結果得られた成果を自らの決定の結果として引き受ける個人である。客観的には不利益・不合理なことであっても,当人が十分に情報公開を受けた上で自らの価値観に基づいて選択するのであればその選択が最終的なものである。この意味で,自己決定権の行使については,それが純然たる私事に関するものである限り,他人からの干渉や法的規制は許されない。

 しかし,特定の目的の下,明らかに不十分な情報に基づいて明らかに不合理な判断をする場合については,錯誤が認められ,当人の目的が結果的に公権力のサポートによって達成される場合に限っては,結局自律的自己決定をサポートしているといえ,自己決定権の制約も可能になると思われる(これもある種の内在的制約と言いうる)。

  •  なお,この「生の自己決定権」は「自殺の権利」とは一線を画する。自殺は個人の尊厳に規定にある人間の尊厳(前者は自己決定を許すが,後者は自己決定を超えた客観的な価値である)の理念に反するため,自殺の権利を自己決定権に含めることは異論がありうる(保護範囲の問題)。最高裁が自殺の自由を正面から認めることは考えられない。ここで問題となる尊厳死などのいわゆる「死の自己決定」は,実は残りの生をいかに生きるかという「生の自己決定」の一部である。この意味で自殺の権利とは区別可能であると考える。まして危険行為の場合には,未踏峰を目指す山岳家の例を見れば明らかなように,いかに生きるかという「生の自己決定」に他ならず,これも自殺の権利とは区別される。

 

4 (補足)宗教的信念に基づく患者の自己決定権の限界

エホバの証人輸血拒否事件

一審東京地裁:人の生命は至上の価値を有し,医師は可能な限りの救命を果たす義務を有するとして,宗教上の理由で輸血を拒否した患者の訴えに対し,無輸血手術の特約は公序良俗違反で無効であり(民法第90条),医師は一般的には患者に治療内容について説明義務を負うものの,患者が頑なに輸血を拒む場合には,輸血がありうることを説明しなくても違法ではない,とした。(嘘も方便というような考え方。)

二審東京高裁:患者の輸血拒否が他人の権利や公共の利益を損なうものでない以上,無輸血手術の特約は有効であり,また,人生において何に価値を置くかについての本人の自己決定(ライフスタイルの自由)が認められるべきであり,人はすべからく死ぬものであるから輸血拒否行為は自殺と異なり,残りの生をどう生きるかという生の自己決定として自己決定権に含まれる。輸血は自己決定権侵害の不法行為となる。

上告審最高裁:宗教上の信念という明確な意思に基づいて輸血拒否をするという意思決定をする権利は,人格権の一内容として尊重されなければならないと述べ,「人格権」という構成によって患者の治療拒否権を肯定した。

  • なお,いずれも宗教的行為の自由に対する侵害の有無には言及されていない。

 私見では,宗教的信念に基づく患者の自己決定は,いかにそれが科学的に説明のつかないものでも,他者加害性がない限り絶対的に保護される。これは不合理や錯誤などをいえるものではなく,単純にその人にとってそれが真の幸福をもたらす真理であるからである。これを治療的観点や生の押しつけにより否定することは,特定の生き方を多数派の道徳観から否定するものであり,個人の人格の根源的平等・自律を否定するものであり,違憲違法である。

  • なお,本件事案ではそういうものではなく,この宗教を基礎にした立論は当てはまらない。あくまでも治療効果を上げたいという目的での輸血拒否であり,結果的に輸血により健康が回復したため,目的としては達成されており,この自己決定権の制約はその内在的限界に直面していたことが証明されており,正当化される。

公務員の人権 憲法問題解析

【問題】

国家公務員法は,公務員の政治活動の自由及び労働基本権を制限しており,判例はいずれに対しても国民全体の共同利益を理由として合憲判決を下している。これらについて論ぜよ。

(参照)

国家公務員法第102条第1項 職員は・・・・・・人事院規則で定める政治的行為をしてはならない。

同法第98条第2項 職員は・・・・・・争議行為をなし,又は・・・・・・怠業的行為をしてはならない。

 

【解答】

 

1 問題の所在

 国家公務員法表現の自由に含まれる政治的活動の自由,労働基本権に含まれる争議権を制約しており,それぞれ最高裁によって合憲と判断されている。最高裁判例を手がかりとして公務員の政治的活動の自由及び争議権を制約する法理を検討することが以下の課題である。

 

2 公的領域と私的領域

 労使関係的に捉えると,公務員は業務時間中の公的領域と時間外の私的領域を生きている。公的領域においては,一般の企業よろしく業務遂行のためのルールが設定されており,それに対しては少なくとも包括的には同意している。一方で,私的領域における自由もこれに伴い制約されることがあり得る。これらの契約・合意に直接的に由来する公的領域での権利の制約と,契約・合意に随伴してもたらされる私的領域における自由の制約を分けて考える必要がある。

 

3 公務員と一般の企業の人

 争議権など,労使関係の構造的非対等を是正するための制度的権利保障に関しては,公務員も一般の企業の人も基本的には同等に扱われるべきである。争議権などは放棄の許されていない権利であり,合意理論で制約を基礎づけることは難しい,すなわち,「公務員だから包括的に放棄に同意しているだろう」という論法は使えないのが憲法の規定の趣旨である。公務員の特別な業務の必要性から制約されることは一概に否定しきれないが,それは国の側がそれに見合った報酬やその遂行に耐えうる人材をその努力で獲得するものであり,法律の力を使って無理やり権利をはく奪することは正当化できない。付言すると,医師や傭兵など,民間でも公務員に匹敵する特別な業務の必要性が認められる仕事もたくさんある。彼らの争議権を奪うことはどう考えてもできなく,契約・合意理論においての公務員と一般の企業の人の区別は恣意的と言わざるを得ない。

 

4 内在的制約論

 基本的人権の制約を可能にするのは,他者の人権を保護する必要がある場合のみである。これを内在的制約論という。憲法の公共の福祉の内容が漠然としており,これを広く解釈するとなんでも人権の制約が正当化されてしまうので,このような枠付で人権保障を図るのが妥当であり,本問でも国民全体の利益のため個人の人権の制約が許されるという「功利主義」の考え方は厳に慎むべきである。

 

5 リベラリズム

 個人が人権を行使する際は,その結果がどうなろうとそれが正しいから保護されるというのが,個人の人格の根源的平等を尊重するリベラリズムに立脚したはずの現在の憲法基本的人権の考え方である。それを国が勝手に結果だけに着目してしかも後知恵的にその人権行使を否定してしまうのは個人の生き方の否定であり,憲法に反する。

 

6 政治活動の自由の制約

(1) 概観

 政治的意見表明の事由など,政治活動の自由は民主主義にとり不可欠であることは論を待たず,優越的地位を有するとされる表現の自由の主要な内容をなすといえる。にもかかわらず,公務員の政治活動の自由については,主体が公務員であるというだけの理由で,具体的な公務の種類を問わず,勤務時間外も含めて,一定の行為類型が国家公務員法第102条及び人事院規則により禁止されている。これは政治活動であるという表現内容を理由とする制約に他ならない。

(2) 猿払事件最判の検討

 猿払事件最判は,国公法の制約目的は,「公務員の政治的中立性を維持し,国民全体の共同利益を実現すること」にあるとする。具体的には,公務員が政治的中立を保つことによって,①国民の信頼を確保することで行政効率を維持する,②政治的介入を防ぐことができる,③内部の政治的対立を防ぎ行政効率を維持することができる,としている。

 同判決は「政治的中立性」を中心に据える。公務員の職務内容は法治主義の下では法に規律され,職員個人の政治的変更が行政に反映してはならないのは当然である。問題は,なぜ公務員が勤務時間外の庁舎外での表現行為の内容にまで,広く政治的中立を要求されるかである。判旨が挙げる理由は,国民の信頼を確保することで行政効率を維持する,というに尽きる。公務員の政治的活動の自由という表現内容の自由が,行政効率という利益のために制約されている。

 私的領域での政治的活動を制約することによって国民の信頼を確保するというのは,主体のない集団的「国民」を想定し,さらに「信頼」などという二重にFictionalな前提に頼っており,私的領域での基本的人権の行使を制約を正当化するには困難な論理である。また,内部の政治的対立を招き行政が効率的に運営できないというのは明らかに就業上の規則違反であり直接的にその対立行為を処罰すべきでありその遠因となるかもしれない政治的活動を私的領域にもわたり制約するのはやはり行きすぎである。具体的な個人の人権が害される危険があることを求めるのが「公共の福祉」に関する内在的制約論である。政治的中立性を制約目的とする政治活動の制約は違憲というべきである。

 

7 争議権の制約

(1) 概観

 国家公務員法第98条第2項は,公務員が「政府を代表する使用者としての公衆に対して同盟罷業,怠業その他の争議行為」を行うことを禁止している。民間労働者が,「団体交渉その他の行為」について正当な労働基本権の行使であれば刑事及び民事責任を免れる(労働組合法第1条第2項,同法第8条)とされていることに比べると,公務員の労働基本権の制約の程度は大きい。公務員も勤労者であり憲法第28条の権利の保障を受けるのであれば,何ゆえにその争議権を職種や目的にかかわらず一律に禁止できるのか。

(2) 全農林警職法事件最判の検討

 全逓東京中郵事件最判が打ち出し,都教祖事件最判に継承された流れは以下のとおり。①「全体の奉仕者論」によって公務員の労働基本権を一律に否定することは許されない,②公務員の労働基本権の制約は,国民生活全体の利益の保障という見地からの内在的制約に限り許される,③公務員の労働基本権の制約は,労働基本権の利益と国民全体の利益を比較考量して,必要最小限のものでなければならない,というものであった。

 全農林警職法事件判決は右の①~③を逐一否定した。①に対しては,「国民全体の共同利益」という概念で「全体の奉仕者」に代えようとしているかに見える。また②については,公務員の職務を一律に公共性が強いものとし,公務の停滞は国民全体の共同利益に重大な影響を及ぼすおそれがあることを制約の理由とする。③については,比較考量論と必要最小限度の基準は排除され,(限定解釈をしない)文面どおりの制約が「必要やむをえない限度の制約」で合憲とされる。

 全農林警職法事件最判が自身を補強するために新たに創出した理屈は次のようなものであった。(イ)公務員の争議行為は,議会制民主主義という憲法上の原則に反する。(ロ)ロックアウトや市場抑止力による制約が働かない。(ハ)人事院勧告という代償措置の存在。(ニ)二重の絞り論は明確性の原則に反する。

 しかし,労働基本権には自由権的側面が指摘されるから,「内在的制約」という観点自体は認めることが可能であるとしても,「国民全体の共同利益」というマジックワードでは内在的制約であることを基礎づけえず,違憲である。

 付言すると,議会制民主主義,勤務条件法定主義,財政民主主義の指摘は,国会だけが予算や法律を制定する権限を持つという,制度上の事柄を述べるに過ぎない。右の理屈では,国会の法案や予算の審議ぶりを批判するデモ行進は議会制民主主義等を理由に制約されうることになる。また,争議行為を行う公務員の側にとっては,勤務条件の決定に現実に影響を及ぼす「世論」が市場の抑止力の代わりに抑止力として働く。さらに,代償措置論は,労働基本権は生存権保障を実現するための手段的権利との認識を基礎とするが,労働基本権は,労働者が職場において経営者と対等の立場で雇用条件の改善を迫ることを可能とする人権であって,労働者の尊厳の実現にとって不可欠な人権である。労働基本権が勤労権(憲法第27条)と並んで規定されていることのうちにもこのような趣旨をうかがうことができる。すなわち,労働基本権の保障は,生存さえ実現できれば手段を問わないというという考え方とは相容れない。

※ここまであからさまな判例変更は後にも先にもなく,おそらく当時の右派左派の政治的対立を見て最高裁がひよったか政権与党から何らかの政治的圧力を受けて出された判決だと推測する。