k's point of view

経営を本業とし,その現場で毎日活動しています。このブログは,旧司法試験の問題を中心に,新たに実務的視点で考えてみるブログでしたが,最近は,ビジネス関連の雑考や法律・ビジネス関連の書籍紹介の記事が多くなっています。

瑕疵担保と債務不履行 民法問題解析

【問題】

セールスマンAは,自動車販売業者Bから中古自動車を,代金90万円の全額を払って購入した。ところが2か月目のはじめに調子が悪くなり,修理工場で見てもらったところ,エンジンに欠陥があり,このままでは50万円くらいの価値しかなく,修理には30万円ほどかかるといわれた。Aは,Bが何もしてくれないので,3か月目以降はレンタカーを借りて仕事をしている。この間,2,3か月目の収益は以前の平均と比べて20万円ほど少なかった。AはBにどのような請求ができるか。

 

【問題の所在】

 買主Aの請求として,①完全な履行を請求する(別の中古車の引渡し,あるいは,当該中古車の修理),②損害の賠償を請求する,③契約を解除する,の3つが考えられる。このうち民法典は,債務不履行責任では①②③全てを規定し(民法第414条,第415条,第540条以下),瑕疵担保責任では②③を規定している(民法第570条・第566条)。

 ところで,Aが,損害賠償請求はあきらめて,払った代金90万円の取戻しを考える場合は,③の契約解除をすることになる。民法第541条と第566条で要件はやや異なるが,本問の場合はいずれによっても解除は認められる。

 問題は,代金の取戻しでは満足せず,①や②の手段を望むときである。というのは,瑕疵担保責任でも①の完全履行を請求できるのか,また,債務不履行責任と瑕疵担保責任とで②の損害賠償の内容が違うのではないか,が問題となるからである。

 

【解説】

1 伝統的な学説(Ⅰ)と近時の学説(Ⅱ)の整理

 第1に,Ⅱは特定物売買の合意は瑕疵のない物の売買だと解するのに対し,Ⅰはそのような契約は成立していないと考える。第2に,Ⅰは債務不履行責任は有効な契約に基づくが,瑕疵担保責任は有効な契約がない部分に法律が特別に認めた責任だ(だから完全履行を請求できず,賠償は信頼利益に限られる)と考えるのに対し,Ⅱは,いずれも有効な契約に基づくが,ただ瑕疵担保責任は売主の過失を要件とせず,代わりに賠償責任が信頼利益に限られ,1年の期間制限に服すると考える。以上の違いから,第3に,特定物売買の場合に,Ⅰでは瑕疵担保責任のみが適用されるのに対し,Ⅱでは両責任が並存しえ,売主に過失があるときは,買主はどちらか有利な方を追及することができ,売主に過失がないときには瑕疵担保責任のみを追及できるとする。

 

2 完全履行請求の可否

 契約締結の際に「その物」と特定しただけで完全履行請求を否定するのは妥当でない。一般に特定物売買でも,目的物には代替性があったり,修補が可能であったりすることが多い。

 

3 損害賠償の要件・内容

 信頼利益とは,目的物に瑕疵がないと信じて契約を結んだために受けた損害である。本問でいえば,Aが購入のためにかけた費用(契約費用,名義書換費用など),払った代金額(90万円)から瑕疵ある物の実際の価値(50万円)を引いた額(40万円)だけである。

 修理した場合の修理費用,レンタカーの賃料,収入の減少分は,履行利益となる。

 信頼利益賠償は,買主が瑕疵を知っていて契約を結ばなかったら現在あるであろう状態を実現するためのものである。他方,履行利益賠償は,欠陥のない目的物が給付されたと同じ状態を債権者に与えるものである。

 売主に過失がある場合にまで信頼利益に賠償を制限するのは不合理である。我妻栄はこの点を意識し契約締結上の過失の理論で履行利益賠償を認めたが,そもそも特定物ドグマを肯定することが必然でもなく単なる一学説にすぎず,過失がある場合には不完全履行に関する民法第415条の適用を認めるという解釈も十分可能である。

二重譲渡・受領遅滞・危険負担 民法問題解析

【問題】

 Bは6月1日に骨董商Aが陳列していた300万円の青磁の壺を見て,買うことにし,Aにその旨を述べて,明日現金を持ってくるから取っておくように依頼した。その後,Aは外出したが,その際に店番を頼んだ店員Dにうっかり青磁の壺が売れたことを伝えなかったところ,Dは,来店したCが青磁の壺を買いたいと申し出たのに承諾を与え,Cが明日現金を持ってくるまで壺を取っておくと約束してしまった。外出から戻ったAは,Dからその旨を聞いて困ったことになったと思ったが,壺は売却済みとして保管することにした。

 ところで,BもCも6月2日には来店せず,6月3日となったが,この日にあった大地震のためにケースが倒れ,「青磁の壺」は壊れてしまった。そしてその直後に来店したBとCは,壊れたつぼを見て,代金支払を拒絶した。

 ABCの法律関係を検討せよ。

 

【問題の所在】

 青磁の壺が破壊された原因は売主と買主の双方にとって責任のない大地震である。それゆえ,青磁の壺の破壊にもかかわらず,買主がなお代金の支払の義務を負担するかという危険負担が問題となる。

 

【解説】

1 特定物売買と危険負担

 Aは青磁の壺をまずBに売却する契約を締結したが,この売買契約は骨董たる青磁の壺を対象としているために,特定物売買であるといえる。その給付すべき特定物は大地震という契約両当事者に責任のない原因で契約成立後に滅失したのであるから,目的物の給付は不能となるものの,青磁の壺を引き渡す債務を負う売主Aは,給付不能について債務不履行責任を負わない(給付危険の問題,民法第415条反対解釈)。ここに至り,反対給付である代金債務の帰趨が問題となる(対価危険の問題)。

 特定物売買における危険負担については債権者主義が適用される(民法第534条第1項)。物の引渡しがなくても代金を支払わねばならないという債権者主義は妥当性を欠く。そのため同条項の縮小解釈が試みられる。(ここではその細かい議論は省略)

 

2 二重売買と危険負担

 設問では,店員Dも青磁の壺を買いたいとのCの申出に承諾を与えた。店員Dは店にある商品の販売に関する権限を有するゆえに(商法第26条),このCD間の売買の効果はAに帰属する。その結果二重売買が生ずる。

 特定物を二重売買した場合の危険負担については,債務者主義(民法第536条第1項)を採る解釈が妥当。債権者主義を制限しようとする傾向が強い上に,さらに二重売買では債権者主義を採ると対価を二重に受け取れることになるからである。

 Aが二重売買をした段階での危険負担は債権者主義であり,AはBCに対する代金債権を失う。

 

3 受領遅滞と危険負担

 設問においては,取立債務にもかかわらず,BCともに期日に壺を受け取りに来なかった。受領拒絶であり,受領遅滞である(民法第413条)。受領遅滞の効果として,対価危険の負担は,債権者に移転する(債権者主義,民法第536条第2項)。つまり,受領遅滞後の青磁の壺の破壊は,代金債務を消滅させない。(やや違和感があるが,民法の規定上そのように解さざるを得ない。)

 本問では,二重売買との関連で,さらにこの処理を貫徹してよいかが問題となる。結論としては,Aはいずれにも代金を請求できるとし,不真正連帯として処理するほかないように思われる。その上で,BCは求償関係に立つと解される。

大麻推進を政治的信条とする滑稽さとリベラリズムの観点から見た大麻使用の自由

先日,2件続けて大きな大麻事犯があった。

 

一つは智頭町,一つは石垣島の事件。

 

石垣島の事件の方は,一人の女性が大麻推進を主張の核として選挙に出ていたのが記憶に新しい。

 

この主張は「この健康食品は体にいいから推進しましょう」というようなもので,非常に矮小な,政治的主張とは到底いえないものである。

 

さて,ここであまりだれも言わないのが憲法上の幸福追求権としての「ライフスタイルの自由」の可能性。

 

大麻は健康上無害,他人にも迷惑をかけない(二重の意味でHarmless)にもかかわらず禁止するのはリベラリズムの観点から問題で,現状では違憲状態である。他にもいろいろ国が理由なく制約している個人のライフスタイルにかかわる権利があり,私はこれらを一つ一つ点検していき,より自由な個人の確立に微力ながら貢献したい。そのきっかけとなるのがカナダやアメリカや欧州の一部で解禁が進んでいる大麻である」などと主張すればもっとマシにはなったと思われる。

 

大麻が健康上無害かどうかは論争になっているが

 

結局主張する側も覚悟がなく,「哲学なき主張」に陥ったものだと思う。そういうところに厭世的な気質や,個人の為と社会の為をすり替える欺瞞が見て取れるため,同情の余地がない。

 

一人一人が物事を深く考え,社会全体のために行動することが少しだけ増えるとよいと思う。

新海誠・「言の葉の庭」の感想(ネタバレあり)

このブログの新海誠シリーズ第三弾です。

 

www.kotonohanoniwa.jp

 

 

君の名は。」の一作前の「言の葉の庭」を見た感想も書きたくなってしまいました。

 

www.kiminona.com

 

 

言の葉の庭」,ストーリーは非常にシンプルです。というかむしろ新海監督にとってはこれが普通なのかも。

 

あるミステリアスな女性・雪野と靴職人を目指す男子高校生・孝雄が雨の日に公園で出会い,雨の日だけの逢瀬を重ねていきます。

 

雪野は環境や心の問題で「うまく歩けなくなってしまった」(比喩的な意味で)のですが,孝雄との交流により徐々に回復していく。

 

しかし,孝雄は雪野の「正体」を知って,戸惑い,すれ違い,本気でぶつかる。

 

しかしその本気のぶつかりによって彼女の心が解放され,救われるというお話。

 

フェチ的な要素や12も年の離れた男女の恋愛というややファンタジーな設定に少し入り込みにくいところやもどかしさを感じましたが,テーマは普遍的で,仕事や家庭や人間関係などで,うまくいっていないと感じて悩んでいる人に対する力強いメッセージになっていると思います。

 

少し長くなりますが,最後のシーンの孝雄のセリフが圧巻です。

 

「雪野さんさっきのは忘れてください

俺やっぱりあなたのこと嫌いです 

最初からあなたは

なんだか嫌な人でした

朝っぱらからビール飲んで 

わけのわからない短歌なんか吹っかけてきて

自分のことは何も話さないくせに 

人の話ばっか聞き出して   

俺のこと生徒だって知ってたんですよね 

汚いですよそんなのって    

あんたが教師だって知ってたら

俺は靴のことなんて話さなかった  

どうせ出来っこない 

叶いっこないって思われるから   

どうしてあんたは

そう言わなかったんですか?    

子供の言うことだって

適当に付き合えばいいって思ってた 

俺が、何かに、誰かに憧れたって

そんなの届きっこない

叶うわけないって   

あんたは最初から解ってたんだ 

だったらちゃんと言ってくれよ 

邪魔だって 

ガキは学校に行けって 

俺のこと嫌いだって 

あんたは....  

あんたは一生ずっとそうやって

大事なことは絶対に言わないで   

自分は関係ないって顔して

ずっと独りで生きてくんだ」

 

この15歳の少年の心の叫びは,

(雪野に対する怒りから発せられる,少年特有の青臭さ・誇張・曲解もあると思うですが,)

その裏にある思いはまっすぐで,本当に普遍的なことを言っていて,自分にも身につまされるものがあります。

 

 

大人になり,人間関係がわずらわしくなり,一人を肯定し,寂しさをごまかし,Facebookでは見せかけの友人たちに充実した私生活を見せるように自己のイメージをコントロールし,自分が見ないようにしているものを突き付けられ,胸が苦しくなりました。

 

(こんなことは匿名のブログでしか書けません。)

 

 

自分には妻と子供とほんの少しの友人や父母兄弟がいるので,まずはそれを大切にしつつ,ただ,当たり障りのない表面的な付き合いではなく,もう少し本音の部分でより深いコミュニケーションをとらなければいけないなと思わされました。

 

 

話は少し飛びますが,自分も27歳の時に10歳上の女性とお付き合いしていたことがあり,結婚寸前までいったことがあります。

 

その時は幸せだったのですが,相手の人生の重みにつぶされそうになり,幸福と同時にそれまでに経験したことのない苦しさ,辛さを味わいました。

 

濃密な時間だったと思います。

 

結局遠距離になり,自分の心が離れ,別れを切り出しましたが,あの言う前の憂鬱さや,激しく取り乱す相手を前にして情を断ち切る辛さは他にはありません。

 

永遠に一緒にいられればいいのですが,前に進みたいと思ってしまうと,ダメでした。

 

恋愛によって人は人をひどく傷つけてしまうという現実に,責任をもって人と付き合っていかなければならないと強く思いました。

 

 

ちなみに,この孝雄の心の叫びに対して,雪野は,一瞬たじろぎますが,孝雄にしがみつき,咆哮し,激しく哭きます。

 

声優のこの叫び声がとてもいいです。いろんな感情が一挙に溢れ出した雪野をすごくよく表せているなと思います。

 

でも結局結ばれない二人。新海監督,切なすぎます。

新海誠・「秒速5センチメートル」の自分なりの解釈

秒速5センチメートル

 

君の名は。」で大ブレイクした新海監督の少し前の作品。

 

秒速5センチメートル

秒速5センチメートル

 

 

 

「何も起こらない映画」と新海監督本人は評していますが,自分は昔の「ゴッドファーザー」や,ポール・ニューマンの「評決」のような静的映像美で見せる作品のようでとても好きなタイプの作品でした。

 

 

  

 

 

さて,この「秒速5センチメートル」ですが,常に遠い何かを見つめている遠野貴樹はいったい何を見つめているのでしょうか。

 

この映画を,初恋の相手が忘れられないが,遠距離になり,遠い存在になったがまだ追っている男の子と,そこから一歩前に踏み出した女性の物語と単純に見るかどうか,とても悩みます。

 

会うまではとても積極的に手紙を出していた篠原明里がなぜ,別れ際に手紙を渡さなかったのか。

 

おそらく明里は,貴樹が明里でなくもっと遠いものを見つめていることに気付いたからなのだと思います。

 

貴樹自身は明里の影を追い求めて彷徨いますが,その先にはもっと遠いもの,人生の意味や根源的な自分の存在理由をいつまでも探し求めているのだと思います。

 

そのことに気付いたからこそ,明里も自分の道を進む決意をして貴樹への依存から脱却しようとしたのだと思います。

 

ただ,明里も完全に迷いなくというわけにはいかず,心は絶えず揺れ動き続けている。

 

貴樹自身が追い求めているものは,みずみずしい澄田花苗でも,影があり自分の分身のような篠原明里でも,ましてや仕事でもなく。

 

太陽系の外の,水素にもめったに出会わないような広大で深遠な宇宙のメタファーで表されているものが何かを考えたとき,やはり貴樹が明里を求めているというのは少し違うのではないかと思います。

 

決して辿り着けないもの。

 

ついに明里と結ばれなかった貴樹がいるという物語の結末にもかかわらず,これを「バッドエンドではないと考えている。バッドエンドと捉えられているのであれば,自分の技術が足りないのだと思う」と言っている新海監督の真意を考えたとき,やはりそうだろうと思います。

 

それにしても,人は寂しくて切ない。

 

この底知れぬ寂しさと切なさをたった1時間の作品で表現しきった新海監督はすごいと思う。